主な処分者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 05:06 UTC 版)
島津斉宣 - 隠居 樺山久言 - 蟄居閉門(後に内命により切腹) 秩父季保 - 喜界島に家族とともに遠島、通称名の国名剥奪(親類に季保の処置をほのめかす内命が下り、季保は切腹した。季保の家屋敷・家来・家財・切米は召し上げられたが、遺族には構いなし。次男が秩父家の跡を継いだが、親族の家来(武家身分の使用人)にされた。 伊地知季安(「薩藩旧記雑録」編集者) - 喜界島に流刑 清水源左衛門 - 役儀罷免、謹慎。(謹慎中に切腹したが、親類による殺害であるという説もある)。墓は現在、鹿児島市の南林寺由緒墓にある。 黒葛原周右衛門 - 高隅郷の寺に蟄居。 奈良原助左衛門 - 喜界島遠島。 島津彦大夫 - 日向国馬関田郷の威徳院に蟄居。 二之宮藤太左衛門(薩摩藩京都留守居、御領百引地頭、風早中納言公雄卿の門下で和歌を学ぶ。)「輝北町郷土誌」輝北町郷土誌編纂委員会 - 遠島の後、垂水蟄居。 また、今後の先例にされないために[要出典]この時の藩政に関する書類の多くが処分されたため、現在でも近思録崩れの経緯や詳細については不明な部分が多い。
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