中野犬小屋の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 01:26 UTC 版)
「犬小屋 (江戸幕府)」の記事における「中野犬小屋の構造」の解説
犬小屋は、5つの「御囲場」に分けられ、「壱之御囲」が3万4538坪、「弐之御囲」「参之御囲」「四之御囲」がそれぞれ5万坪、「五之御囲」が5万7178坪、総面積24万1716坪であった(「犬小屋御囲場絵図」。白橋聖子・大石学「生類憐みの令と中野犬小屋」東京学芸大学近世史研究会編『近世史研究』第四号」)。 「元禄九年江戸図」に描かれた「中野御用御屋敷」では、周囲は柵で囲まれ、6つに仕切られた内部は各入口に竹矢来と門が設けられ、門を入ると散らばった犬小屋12棟と役所とみられる建物1棟がある。 支配勘定を務めた大田南畝が寛政12年(1800年)にまとめた『竹橋余筆』に収録された帳簿「元禄九子年中野・四谷・大窪御用屋敷新規修復御勘定帳」には、中野の犬小屋の拡張・修復工事経費が記されていた。元禄9年(1696年)の時点で、 1棟25坪の犬部屋・犬餌飼部屋 - 290棟、敷地面積10万坪 1棟7坪5合の日除け所 - 295棟、敷地面積10万坪 1棟6坪の日除け所餌飼所 - 141棟半 その他、子犬養育所 - 459か所、役人居宅 - 8か所、御犬小囲舂屋(つきや)、御役屋敷4ヵ所、御用屋敷長屋4棟・食冷まし所5棟・冠木門8か所・医師部屋・医師居宅・女犬養育所・御側衆・御目付衆・奉行小屋・玄関書院・釜屋・井戸・厩・米蔵・塩蔵・味噌蔵・火の見櫓・冠木門 などがあった。総面積は20万坪超だったが、「子犬養育所」は「御用屋敷の3ヵ所の元御囲内に造った」とあり、5つの御囲のうち3つを解消してその跡地に養育所が造成されていため、当時の犬小屋は東の御囲4万坪と西の御囲6万坪に分かれて運用されていた。御犬部屋には1部屋ごとに長さ7寸・幅3寸5分・厚さ7分の檜の番号札が取り付けられ、広囲いの御犬部屋用に299枚、小囲い御犬部屋用に40枚が用意された。この年には修復のため、大工5万7000人余が駆り出され、工事費用総額は2314貫658匁余(金3万8577両余)と米5529石余となった。 養生のため犬を河原や野辺へ連れ出すこともあり、夜間には手代や下役人が「御囲」内を巡回し警備していた。
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