中越関係の改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:15 UTC 版)
1988年3月にベトナムのファム・フン首相が急死すると、1978年のベトナム軍によるカンボジア侵攻時にイニシアチブを取ったベトナム政府内の指導者は存在しなくなり、同年にはアフガニスタンからもソ連軍が撤退した。 改革開放路線の成功と日本・アメリカとの緊密な関係を通じて急速に国力を回復させた中国に対して、親ソ派のレ・ズアンが構築したソ連・ベトナムの同盟は既に劣勢となりつつあり、ベトナムは中国との関係改善を模索しはじめていた。 中越戦争開戦から10年が経過した1989年の旧正月に、中越間の辺境貿易が突然再開され、中越関係が急速に修復に向かうと、中国軍は老山・者陰山からの段階的撤退を開始し、1989年5月までに撤兵を完了させた。 中越国境で発生した最後の衝突は、ベトナム側が国境での警戒態勢を緩めた1989年春に発生した。この事件では、中国側が占領を継続していた時期に高地上に設置したレーダー施設を巡って、ベトナム領内に大挙侵入した建設労働者の集団を、ベトナム公安当局が排除しようとして衝突が発生したが、中越双方ともに軍を投入せず建設労働者達が引き揚げた事で終結し、中国側がベトナム側の関係改善への真摯さを確認する最終的な試験となった。
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