中華人民共和国からの追放と失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 06:12 UTC 版)
「西園寺公一」の記事における「中華人民共和国からの追放と失脚」の解説
文化大革命による混乱の中で、その「反革命的な」出自と、劉少奇元・国家主席らの「実権派」と親しいとされた立場について強い非難を受け、身に危険が及ぶ可能性も高くなったことから、1970年(昭和45年)8月に各種肩書と給与を捨てて日本へ帰国。事実上の追放であった。 以後国内で言論活動を行い、かつて自らの給料を出して保護してくれた中国共産党や毛沢東、江青等を賞賛。また、自らが文化大革命の中で中華人民共和国を事実上追放されたにもかかわらず文化大革命を礼賛し、さらにかつては日中国交正常化に向けて親しく意見交換をしていた劉少奇を強く批判する言動を続けたため、保守派だけでなく、左派の言論人たちからさえ大きな疑念と批判を受けた。 さらに、文化大革命中より、その中国共産党におもねった言動に対して多方面から批判を浴びていたが、1970年代中盤に文化大革命が終結しその実情が暴かれたことで、西園寺の主張が完全に的外れなものであることが証明された。さらにその後、中華人民共和国内で文化大革命に対する批判がされた後は、完全に言論人としての立場を失った(後述)。
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