中東の農村部の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 17:54 UTC 版)
「ファッラーヒーン」の記事における「中東の農村部の人々」の解説
ファッラーヒーンはオスマン帝国時代以後、エジプトやシリア、パレスチナ、キプロスなど中東全域で「村人」あるいは「農民」を意味する語となった。ファッラーヒーンらはエフェンディ(effendi、地主階級)とは区別されるが、ファッラーヒーンには小作人から小規模地主、村全体で土地を共有するような村の住民まで、多くの形態がある。また土地を持たない労働者のみをファッラーヒーンとする用法も見られる。ファッラーヒーンと呼ばれる村人にはキリスト教徒、ドゥルーズ教徒、イスラム教徒などさまざまな宗教の信者も含まれる。エジプトなどの中でも、地方部にあたる地域から都市部へ移住してきた人々もファッラーヒーンと呼ばれる。 エジプトの人口の60%を構成するファッラーヒーンらは、質素な生活を送り、祖先伝来の日干し煉瓦の家で生活する。ファッラーヒーンがエジプトの人口に占める割合は20世紀初頭には現在よりも高かったが、20世紀後半には人口の都市への大移動が起こり、多くのファッラーヒーンらが首都カイロ周辺のスラムなどで暮らすようになった。1927年に上エジプトの農民層の生活の民族学調査を指揮した人類学者のウィニフレッド・ブラックマン(Winifred Blackman)は、ファッラーヒーンらの文化や宗教上の信仰と実践には、古代エジプト人の文化などからの連続性が認められると結論した。
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