中年経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 01:59 UTC 版)
1936年、航空委員会主任。日中戦争勃発後は第二次上海事変において第2・第5大隊を中心とした爆撃機・戦闘機部隊の空爆による上海駐留部隊の殲滅、および第4大隊を中心とした戦闘機部隊による日本海軍渡洋爆撃部隊の迎撃を指揮。渡洋爆撃部隊の迎撃は一定の成功をおさめたが、一方の上海爆撃では悪天候の中爆撃を強行した事や艦艇爆撃のノウハウが確立されていなかったこともあり租界内の民間人を多数巻き添えにする失態を犯した。 翌年、航空委員会秘書長宋美齢との空軍の主導権争いに敗れ蒋介石の側近である銭大鈞に主任の座を譲ったが、39年に銭大鈞が失脚すると再度主任に復帰。大戦全期にわたり中国空軍の総指揮を執った。終戦後の1945年9月16日、香港での日本軍降伏調印式(日本側代表は香港防衛隊長岡田梅吉陸軍少将、第二遣支艦隊司令長官藤田類太郎海軍中将)に空軍代表として出席。 1946年、中国空軍は正式に独立し、航空委員会は空軍総司令部に改編されると、周は初代空軍総司令に就任した。
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