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中尾宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/21 13:29 UTC 版)

中尾 宏
なかお ひろし
生年月日 (1924-05-19) 1924年5月19日
出生地 日本 鹿児島県
没年月日 (1992-07-12) 1992年7月12日(68歳没)
出身校 鹿児島高等商業学校
所属政党 自由民主党

選挙区 鹿児島2区
当選回数 1回
在任期間 1972年 - 1976年
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中尾 宏(なかお ひろし、1924年(大正13年)5月19日[1] - 1992年(平成4年)7月12日[1])は、日本の政治家自由民主党衆議院議員(1期)。

人物・来歴

鹿児島県出身[2]。旧制鹿児島高等商業学校(現・鹿児島国際大学)卒[2]満洲に渡り、満州電業社に勤務する[2]。後に帰国し改造社を創業した山本実彦の秘書になる。

1972年第33回衆議院議員総選挙において鹿児島2区から無所属で立候補して当選[3]、自民党に入る。衆議院議員は1期務めた。1976年第34回衆議院議員総選挙で落選[3]。以後、立候補しなかった。

1983年に世界出版を創設[4]。雑誌『世界春秋』の主幹となる[2]

1992年、呼吸不全で死去[4]

金丸信の密使

中尾は、自民党の金丸信と近しい関係で、金丸に言われて、秘密の難しい仕事を請け負っていた[5]。首相になる前の竹下登右翼から受けた「ほめ殺し」と呼ばれる妨害工作を抑え込む工作もその一つだった[6]1987年秋の自民党総裁選挙に向けて、高松市の右翼団体「日本皇民党」が竹下のイメージダウンさせようと、街頭宣伝でがなりたてた。「竹下登は金儲けのうまい政治家。竹下をぜひ総裁に」街宣車でそう連呼して回った[6]。金丸の指示を受けて、中尾は、東京佐川急便の元社長、渡辺広康に、「ほめ殺し」をやめさせる工作を依願した[6]。渡辺は、暴力団稲川会石井進会長に頼んで、日本皇民党に接触してもらい、ようやく「ほめ殺し」をやめさせることができた[6]

金丸は1990年秋、社会党田辺誠・副委員長と一緒に、北朝鮮を訪問。平壌で、金日成朝鮮労働党主席と会談し、日朝両国政府に、国交樹立の交渉開始を促す、自民党、社会党、朝鮮労働党の3党共同宣言を出した[7]。そのころ、在京国際情報筋の間では、「金丸は多額の金を平壌に持参し、金日成に渡した」といううわさが広がっていた[7]。金丸は帰国後、特使として中尾を米バージニア州CIA本部に派遣して、訪朝の結果を説明させた[8]。中尾は当時のリチャード・カー長官代行と会い、金丸の北朝鮮訪問に関する説明と弁解に終始した[4]。だが、中尾の話はすでにCIAが入手済みの情報だったと見られている[4]

脚注

  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、867頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』439頁。
  3. ^ a b 『朝日選挙大観』492頁。
  4. ^ a b c d 春名 2003, p. 443.
  5. ^ 春名 2003, p. 443 - 444.
  6. ^ a b c d 春名 2003, p. 444.
  7. ^ a b 春名 2003, p. 442.
  8. ^ 春名 2003, p. 442 - 443.

参考文献




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