中国赴任時代~孫文、蔣介石を支援とは? わかりやすく解説

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中国赴任時代~孫文、蔣介石を支援

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:10 UTC 版)

松井石根」の記事における「中国赴任時代~孫文、蔣介石を支援」の解説

明治40年1907年フランスから帰国した松井は、次の勤務先として清国派遣された。これは松井が自ら志願してのことであった日中関係良好なものとして築きあげることが、日本更にはアジア全体安寧に繋がると考えたからである。 明治42年1909年)、清国滞在中に大尉から少佐へと昇進したこの頃から孫文深く親交するようになった松井孫文大アジア主義強く共鳴し辛亥革命支援陸軍参謀本部宇都宮太郎三菱財閥岩崎久弥10万円の資金供出させて、これを松井任せ孫文支援するための元金使わせた。その後中国国民党袁世凱打倒協力した松井日本留学した蔣介石とも親交があり、昭和2年1927年9月、蔣が政治的に困難な際に訪日働きかけ田中義一首相との会談取り持ち事態打開させた。田中首相は①この際揚子江以南掌握することに全力注ぎ北伐は焦るなということ、②共産主義蔓延警戒し防止せよということ、③この①②に対して日本支援惜しまないということこの三点述べた最終的に二人のあいだで合意したのは、国民革命成功し中国統一完成した暁には日本はこれを承認すること。これに対して国民政府は、満洲における日本地位特殊権益認めるーということであった松井秘書田中正明によれば松井当時すでに中国蔣介石によって統一されるであろうという見透し抱いていた。日本は、この際進んで目下失意の状態にある蔣を援助して、蔣の全国統一可能ならしむよう助力する。そのためには張作霖おとなしく山海関以北封じ、その統治認めるが、ただし蔣の国民政府による中国統一成就した暁にはわが国満蒙特殊権益開発大幅に承認させることを条件とするという構想であった。」

※この「中国赴任時代~孫文、蔣介石を支援」の解説は、「松井石根」の解説の一部です。
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