中国(8~18世紀)、鄭和の大航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 06:58 UTC 版)
「帆船」の記事における「中国(8~18世紀)、鄭和の大航海」の解説
北宋時代に高麗へ派遣する使節用として造られた帆船は全長約110メートル積載量1100トン以上で、見た事のない大船だと記される。一般の貿易船としては、積載量275トン程度の大船から万斛船と呼ばれる600~900トン程度の巨大帆船まで様々な種類の船が用いられた。戦闘船は速度が重視され、一日千里を航行すると記録されている。 ヴェネツィアの旅行家マルコ・ポーロ(Marco Polo,1254年 -1324年)は20年近く元朝のクビライ・ハーンに仕えた。そのときのことを口述した『東方見聞録』において、元朝の南方交易用の帆船は、4本のマストを持ち乗員は60名程度であること、竜骨(キール)によって船体は高い強度を保っていること、浸水しても沈没を免れる隔壁構造の船体を採用していること、羅針盤によって正確な遠洋航行が可能であることを報告している。 中国の明朝では鄭和が1405年から1433年にかけて7回の大航海を行った。航海した範囲は東南アジア、インド、アラビア半島、アフリカ東岸にまでわたった。これらの航海には長さ173m、幅56mにも及ぶ巨大な帆船が用いられた(詳細は項目「鄭和」を参照のこと)。
※この「中国(8~18世紀)、鄭和の大航海」の解説は、「帆船」の解説の一部です。
「中国(8~18世紀)、鄭和の大航海」を含む「帆船」の記事については、「帆船」の概要を参照ください。
- 中国、鄭和の大航海のページへのリンク