両親と祖母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 01:22 UTC 版)
「ミハイル・レールモントフ」の記事における「両親と祖母」の解説
ミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフはモスクワの名門貴族の家に生まれ、タルハーヌイ(英語版)の村(現在のペンザ州のレールモントヴォ)で育った。レールモントフはスコットランドからロシアに移住した零細貴族の子孫であり、祖先の一人であるフォマ・レールモントフは有名な弾唱詩人(ドルイド)だと言われている。父の家系は17世紀半ばにロシアに移住したポーランド・リトアニア共和国の将校ユーリ(ジョージ)・レールモントフまでさかのぼることができ、ミハイル・ロマノフ(1613年 - 1645年)の治世にユーリはポーランドでロシア軍の捕虜となった。レールモントフの父であるユーリ・ペトロヴィチ・レールモントフは自分の父親と同じように軍職に就く道を選んだ。大尉に昇進したユーリは、有力貴族のストルイピン家の女子相続人である16歳のマーリヤ・ミハイロヴナ・アルセーニエワと結婚する。レールモントフの母方の祖母であるエリザベータ・アルセーニエワは結婚を失敗と見なし、義理の息子をひどく嫌っていた。 1814年10月15日、一家が一時的に転居したモスクワでマーリヤは息子のミハイルを出産した。
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