両親に関する諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/18 03:22 UTC 版)
「イジャスラフ4世」の記事における「両親に関する諸説」の解説
イジャスラフは、伝統的な説としてはイーゴリ・スヴャトスラヴィチ(『イーゴリ軍記』のイーゴリ公)の孫であり、ウラジーミル・イーゴレヴィチの子であるとされる 。(『イーゴリ軍記』によれば、イーゴリ公が息子のウラジーミル等とともにポロヴェツ族の捕虜になった際に、ウラジーミルはポロヴェツ族の長コンチャーク=ハンの娘スヴォボダと結婚する。この2人の間に生まれた子がイジャスラフとされる。)その場合、母と父方の高祖母とがポロヴェツ族ということになり、イジャスラフは血統の上でルーシ人よりもポロヴェツ族に近いことになる。一方、多数の年代記が、イジャスラフの父称はムスチスラヴィチであると言及している 。トヴェリの年代記に従うなら、父はムスチスラフ・ロマノヴィチであり、別の年代記は父をムスチスラフ・ムスチスラヴィチとしている 。
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