コンチャーク
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コンチャーク(ロシア語: Кончак、? - 1203年以降)は、ドン川とドニエプル川流域のポロヴェツ族を統帥したハン(汗)。シャルカンの孫、オトロクの子。ポロヴェツ族を率いてルーシ諸公の内紛に干渉し、キエフやペレヤスラヴリを襲撃した。
注釈
出典
- ^ 木村彰一『イーゴリ遠征物語』153頁
- ^ a b c 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(7) : 『キエフ年代記集成』(1172〜1180年)」『富山大学人文学部紀要』第67巻、富山大学人文学部、2017年8月、263頁、CRID 1390572174762668032、doi:10.15099/00017841、hdl:10110/00017841、ISSN 03865975。
- ^ 木村彰一『イーゴリ遠征物語』200頁
- ^ 木村彰一 『イーゴリ遠征物語』192頁
- ^ 中村喜和『ロシア中世物語集』369頁
- 1 コンチャークとは
- 2 コンチャークの概要
- 3 参考文献
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