コンチャークとは? わかりやすく解説

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コンチャーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 06:27 UTC 版)

コンチャークロシア語: Кончак、? - 1203年以降)は、ドン川ドニエプル川流域のポロヴェツ族を統帥したハン(汗)。シャルカンの孫、オトロクの子。ポロヴェツ族を率いてルーシ諸公の内紛に干渉し、キエフペレヤスラヴリを襲撃した。


注釈

  1. ^ おおよそドニエプル川ヴォルガ川の間あたりの草原地帯が相当する[1]
  2. ^ 現在のどの河川にあたるのかはいくつかの説がある。ru:Каяла参照。
  3. ^ 1180年の段階では、イーゴリもコンチャークらと同盟を結んでリューリクと敵対していた[3]
  4. ^ 捕虜となった間に結婚したこと、同年の秋に妻と一人の子を連れてルーシへ帰ったことが『イパーチー写本』の1187年の記述にある[4]

出典

  1. ^ 木村彰一『イーゴリ遠征物語』153頁
  2. ^ a b c 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(7) : 『キエフ年代記集成』(1172〜1180年)」『富山大学人文学部紀要』第67巻、富山大学人文学部、2017年8月、263頁、CRID 1390572174762668032doi:10.15099/00017841hdl:10110/00017841ISSN 03865975 
  3. ^ 木村彰一『イーゴリ遠征物語』200頁
  4. ^ 木村彰一 『イーゴリ遠征物語』192頁
  5. ^ 中村喜和『ロシア中世物語集』369頁


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