オトロク_(ポロヴェツ族)とは? わかりやすく解説

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オトロク (ポロヴェツ族)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 00:56 UTC 版)

オトロクロシア語: Отрок)、またはアトラクロシア語: Атрак)は、12世紀前半のポロヴェツ族ハンである。シャルカンの子であり、コンチャーク、エルトゥート兄弟の父にあたる[1]。兄弟にはスィルチャンがいる。

生涯

1111年、ポロヴェツ軍はルーシ軍とのサリニツァ川の戦いに敗れた。オトロクとスィルチャンは、散り散りになったポロヴェツ族のオルダをまとめ、自身の部隊の補充にあてると、それぞれ北コーカサス・ステップとドン川下流域へと撤退した。また、オトロクのオルダは、ルーシと対立していたドネツのアラン人と同盟を結んだ。

1117年、オトロクはコーカサス北部に進入し、サルケルを破壊した。サルケルの住民やペチェネグ族トルク族らはルーシへの避難を余儀なくされた。また、ポロヴェツ族はコーカサス北部のアラン人、アドィギ人(チェルケス人)、ヴァイナヒ人(ナフ人)(ru)[注 1]を抑圧した。しかし12世紀の初めには、クバン川、ニジュニャヤ・マルカ川(下マルカ川)、テレク川を領界線として彼らとの関係は安定した。なお、ポロヴェツ族とアラン人の和解には、ジョージア王ダヴィト4世の助力があった。このダヴィト4世は、セルジューク朝ジョージア侵攻を危惧し、ジョージア王国の軍事力を強化するために、1118年、ポロヴェツ族との同盟を結んだ。また、同盟締結によって、オトロクの娘・グランドゥフトと、ダヴィト4世との婚姻が結ばれた。

同盟の後、ダヴィト4世は南コーカサスのセルジューク朝軍に対する戦争を立案し、オトロクを援軍に招いた。オトロクは4万人に上る軍勢(女性は除く)を率いてジョージアへ到着した。加えて、5千人の精鋭部隊を王の親衛隊として編入した。1125年、オトロクはディドゴリの戦い(en)で、ジョージア軍の勝利に貢献した[2]。なお、兄弟のスィルチャンのオルダはドン川の遊牧地に留まった。

イパーチー年代記』には、1125年のウラジーミル・モノマフの死後、オトロクはスィルチャンの招きに応じて、ドン川へと帰ったという記述がある[3][4]。オトロクと彼のオルダの一部はドン川へ帰ったが、オルダの多くはジョージアに残った。

脚注

注釈

  1. ^ アドィギ人はロシア語: Адыги、ヴァイナヒ人はロシア語: Вайнахи、ナフ人は英語: Nakhの転写による。

出典

  1. ^ * 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(7) : 『キエフ年代記集成』(1172~1180年)」『富山大学人文学部紀要』第67巻、富山大学人文学部、2017年8月、263頁、CRID 1390572174762668032doi:10.15099/00017841hdl:10110/00017841ISSN 03865975 
  2. ^ Anatoly Michailovich Khazanov, André Wink (2001), Nomads in the Sedentary World, pp. 46-8. Routledge
  3. ^ Denis Sinor (1990), The Cambridge History of Early Inner Asia, p. 181. Cambridge University Press
  4. ^ Gerard Chaliand (2003), Nomadic Empires: From Mongolia to the Danube, p. 52. Transaction Publishers

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