両親の出自
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 05:07 UTC 版)
「マックス・パーキンズ」の記事における「両親の出自」の解説
父エドワード・クリフォード・パーキンズは、ボストン出身の美術評論家チャールズ・キャラハン・パーキンズ(英語版)の息子(3人きょうだいの2番目)であった。パーキンズ家は元々実業家だったが、チャールズはハーバード大学在学中に絵画へ興味を示し、その後アメリカ初の美術評論家となった。息子のエドワードも父と同様にハーバード大学へ進み、後に附属のロー・スクールを卒業した。 母エリザベス・エヴァーツは、ウィリアム・マクスウェル・エヴァーツの娘であり、パーキンズの名前はこの祖父から貰ったものである。エヴァーツはイェール大学からハーバード大学のロー・スクールに進んだ弁護士で、ラザフォード・ヘイズ政権のアメリカ合衆国国務長官を務めたほか、ニューヨーク州選出の上院議員として2期務め上げた。父のワシントン生活中、エリザベスは女主人役をよく務めていたという。 父方の祖父にあたるチャールズ・パーキンズは、ヨーロッパでの美術評論生活から財産を使い果たしてしまい、元々先祖が移住してきた土地であるニューイングランドへ戻って来た。ウィリアム・マクスウェル・エヴァーツとの家族ぐるみの付き合いはここで始まり、パーキンズの両親は2人が24歳になった1882年に、バーモント州ウィンザー(英語版)で結婚した。2人はニュージャージー州プレインフィールドに居を構え、エドワードはニューヨークの法律事務所に勤めた。2人の間には6人の子どもが生まれた。
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