与座岳陸軍補助施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:19 UTC 版)
「与座岳・八重瀬岳の米軍基地」の記事における「与座岳陸軍補助施設」の解説
1955年: 米軍が八重瀬岳の土地接収のための測量実施を東風平村に通達、住民は接収に抵抗した。 1957年6月: 米軍によって強制接収された。米陸軍第 30 防空砲兵旅団が「与座岳第二陸軍補助施設」として使用。 場所: 糸満市、東風平村、具志頭村 面積: 約258,900 ㎡ 与座岳陸軍補助施設サイトA: 北の山側にある施設はナイキのコントロール基地として大型レーダーや兵舎、事務所が設置された。サイトAとよばれる。 与座岳陸軍補助施設サイトB: 南側の具志頭側には核弾頭を搭載できるナイキ関連施設が構築された。サイトBとよばれる。 1959年、核・非核両用の高高度用迎撃ミサイルのナイキ・ハーキュリーズが米国内基地と同時期に沖縄に配備されはじめる。与座は第7サイトを担っていた。 ナイキ配備 備考 1 第1サイト ボロー・ポイント射撃場 (読谷) 返還 2 第2サイト 恩納ポイント (恩納サイト) 自衛隊へ移管 3 第3サイト 石川陸軍補助施設 (天願) 返還 4 第4サイト 西原第二陸軍補助施設 (ホワイト・ビーチ地区) 自衛隊に移管 5 第5サイト 普天間飛行場 6 第6サイト 知念第二サイト 自衛隊へ移管 7 第7サイト 与座岳サイト 自衛隊へ移管 8 第8サイト 那覇サイト 自衛隊へ移管 1969年頃: アメリカのニクソン大統領によるニクソン・ドクトリンで米軍基地の再編統合がおこなわれ、施設は事実上遊休化していた。
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