知念第二サイトとは? わかりやすく解説

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知念第二サイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/01 08:03 UTC 版)

知念第二サイト
Chinen Site 2
知念半島の米軍基地
知念第一サイト・知念第ニサイト
1970年の空中写真では黒塗りされている。
種類FAC6269
施設情報
管理者沖縄の米軍基地
歴史
使用期間1945-1973

知念第二サイト(ちねんだいいちサイト)は、沖縄県南城市知念半島にあった米陸軍のミサイルサイト。南城市佐敷 (西側) にあるコマンド施設と南城市知念 (東側) にあるミサイルサイトの二カ所に分かれていた。1973年に航空自衛隊に移管され、知念分屯基地の管理地区と運用地区となった。

概要

知念第2陸軍補助施設

  • 旧名: 知念第二陸軍補助施設 (Chinen Army Annex No. 2)
  • 改称: 知念第二サイト (Chinen Site 2)[1]
  • 施設番号: FAC6269
  • 所在地:玉城村、知念村、佐敷村 (北側)
  • 面積:約311,600m2
  • 管理:米陸軍
施設番号 基地名 (1972年時点) 旧称 現在
FAC6268 知念第1サイト 知念第1陸軍補助施設 陸自知念分屯地
FAC6269 知念第2サイト 知念第2陸軍補助施設 空自知念分屯基地

歴史

  • 米陸軍第30防空砲兵旅団が「知念第二陸軍補助施設」として使用。
  • 1957年7月8日: アメリカ公文書館の記録にナイキ・ハーキュリーズの配備計画が知念サイトを含む8カ所であると記載されている。米陸軍第30防空砲兵旅団が「知念第二陸軍補助施設」として使用[2]
  • 1972年5月15日: 沖縄返還にともない「知念第二サイト」の名称に変更 (ミサイル・サイト)[1]
  ナイキ配備 備考
1 第1サイト ボロー・ポイント射撃場 (読谷) 返還
2 第2サイト 恩納ポイント (恩納サイト) 空自 恩納分屯基地に移管
3 第3サイト 石川陸軍補助施設 (天願) 返還
4 第4サイト 西原陸軍補助施設 (ホワイト・ビーチ地区) 返還
5 第5サイト 普天間飛行場
6 第6サイト 知念第二サイト 空自 知念分屯基地に移管
7 第7サイト 与座岳サイト 陸自 南与座分屯地に移管
8 第8サイト 那覇サイト 空自 那覇基地に移管
米陸軍の知念第二サイトは西側 (佐敷) の管理地区と東側のミサイルサイト (知念) の二か所。それぞれ知念分屯基地の管理地区と運用地区になった。

空自 知念高射教育訓練場

1973年1月31日、約2,000m2の引渡し。2月15日、航空自衛隊那覇基地隊において知念訓練隊を新規編成。約3か月間、米兵が自衛官にミサイルについての整備OJT (実務訓練) を実施した後、5月14日、約310,000m2が引き渡され、新設の第18高射隊に管理が移管される[3]

1974年1月9日、沖縄返還協定了解覚書B表に基づき残り部分がすべて自衛隊に引き継がれる。

1996年2月1日に第16高射隊が新編される。

高台に位置する運用地区と運用地区から約2.5km離れた管理地区から成る。現在はハーキュリーズではなくパトリオットが配備されている[4]

空自「知念分屯基地」内にある佐敷ようどれ

佐敷ようどれ

琉球王国を建てた尚巴志の父・尚思紹一族を奉った霊廟。1957年、米軍がこの地域を接収すると通告した。米軍基地のなかにあるまま、県は1958年に県の史跡として指定した。

現在は空自知念分屯基地内にあり、南城市教育委員会が管理しており、分屯基地にゲートで申し込むことで見学できる[5]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b Agreement with Japan Concerning the Ryukyu Islands and the Daito Islands, Signed at Washington and Tokyo on June 17, 1971
  2. ^ 沖縄県「米軍基地環境カルテ - 知念第二サイト」(平成 29年3月)
  3. ^ 沖縄県「米軍基地環境カルテ 知念第二サイト」(平成29年3月)
  4. ^ 沖縄県「沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)」平成27年3月
  5. ^ 佐敷ようどれ|航空自衛隊について|防衛省 [JASDF 航空自衛隊]”. www.mod.go.jp. 2021年3月19日閲覧。

知念第二サイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 20:49 UTC 版)

知念第一サイト・第二サイト」の記事における「知念第二サイト」の解説

知念第二サイト (施設番号FAC6269) は南城市佐敷 (西側) にあるコマンド施設南城市知念 (東側) にあるミサイルサイトの二カ所に分かれていた。1973年どちらも航空自衛隊移管され、知念分屯基地管理地区運用地区となった所在地玉城村知念村佐敷村 (北側) 面積:約311,600m2 管理米陸軍

※この「知念第二サイト」の解説は、「知念第一サイト・第二サイト」の解説の一部です。
「知念第二サイト」を含む「知念第一サイト・第二サイト」の記事については、「知念第一サイト・第二サイト」の概要を参照ください。

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