ナイキ「第二サイト」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 02:10 UTC 版)
アメリカ公文書館に残されている1957年7月8日付の記録によると、沖縄で8カ所のナイキミサイル配備が計画されたとある。そのうちの一つが石川岳の頂上にある恩納ポイントの「第二サイト」だった。 ナイキ配備 備考 1 第1サイト ボロー・ポイント射撃場 (読谷) 返還 2 第2サイト 恩納ポイント (恩納サイト) 空自 恩納分屯基地に移管 3 第3サイト 石川陸軍補助施設 (天願) 返還 4 第4サイト 西原陸軍補助施設 (ホワイト・ビーチ地区) 返還 5 第5サイト 普天間飛行場 6 第6サイト 知念第二サイト 空自 知念分屯基地に移管 7 第7サイト 与座岳サイト 陸自 南与座分屯地に移管 8 第8サイト 那覇サイト 空自 那覇基地に移管 1953年4月 - 使用開始。 1959年 - 米陸軍第30防空砲兵旅団が「恩納ポイント陸軍補助施設」として使用。ナイキ・ハーキュリーズの「第二サイト」基地であった。 1972年5月15日 - 復帰に伴い「恩納サイト」と名称が変更される。
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