ナイキとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:52 UTC 版)
ナイキの前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社は、アメリカにおけるオニツカタイガーの販売代理店であった。スタンフォード大学で経済学を学んだ後、1963年(昭和38年)に卒業旅行で日本に立ち寄ったBRSの共同創業者フィル・ナイトがオニツカシューズの品質の高さと価格の安さに感銘を受け、すぐさまオニツカ社を訪ね、アメリカでのオニツカシューズの販売を嘆願した。その後、オレゴン大学の陸上コーチであったビル・バウワーマンと共同でBRSを設立し、オニツカの輸入販売代理業務を開始した。 アメリカ西海岸地域を中心に販売は好調であったが、その後BRSはナイキブランドを創設。初期のナイキシューズ(コルテッツ等)は日本製のものがほとんどだが、これらはオニツカ社から技術者の引き抜きなどを行い、福岡のアサヒコーポレーションで生産されたものであり、事実上ライバルメーカーへの仕入の切り替えであった。その後、オニツカ側がバウワーマンが考案したデザインやモデル名をそのまま使用し続けたためにBRS社から訴訟を提起され、和解金として1億数千万円が支払われた。
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