不祥事、辞職勧告決議
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2003年1月26日の知事選で、民主党・自由党の推薦を受けた弘前学院大学教授の横山北斗らを破り3期目の当選を果たす。 ところがその直後、『週刊新潮』2月6日に「横山ノックよりエゲツない!3選を飾った木村守男青森県知事の『セクハラ不倫』騒動」と題した記事が掲載される。記事は、木村が生活の窮状を訴える女性から手紙を受けたことをきっかけに、2001年3月に女性宅を訪問して交際を始め、セクハラ行為などをしたと報じた。 木村は事情の説明を求めた県議会と対立。同年2月27日、『週刊新潮』の記事で名誉を傷つけられたとして、発行元の新潮社と記事掲載に関与したと見なした参議院議員田名部匡省(当時、無所属の会所属)を東京地裁に提訴し、2005年まで裁判が続いた。 同年3月7日、県議会で辞職勧告決議が採決される。与党自民党会派も津島派などの大部分が賛成票を投じ、賛成39票・反対9票と79.59%の賛成を得て可決されたが、辞職を拒否。3月18日の法的拘束力がある知事不信任決議案が採決されたが、前回の辞職勧告決議で反対に回った自民党議員(木村派)が再び反対するだけでなく、賛成に回った自民党議員(大島派)が「辞職勧告と不信任は違う」として反対に回り、賛成35票・反対14票で71.43%と不信任可決に必要な75%に満たず僅差で否決された。 同年4月の統一地方選挙で県議会議員選挙が実施され、不信任決議案に反対した議員が多く落選。選挙後の臨時議会で再び不信任決議案が提出され、可決必至の情勢の中、採決の前日に辞意を表明。不信任決議案は結局採決されなかった。5月16日、県知事を辞職した。 2015年10月19日、自身の政治団体の総会で政界引退を表明した。
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