上京と正岡子規との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 23:31 UTC 版)
「中村不折」の記事における「上京と正岡子規との出会い」の解説
1887年4月に上京し、高橋是清の館に住み込みながら、画塾「不同舎」に入門。小山正太郎に師事し絵を学んだ。25歳の時、第2回明治美術会展覧会に水彩画3点を出品。1891年に油彩画を始め、現存する最初の作例「自画像」を制作。28歳の時、第5回明治美術会展覧会に「憐れむべし自宅の写生」ほかを出品した。 1894年には正岡子規に出会い、日本新聞社の発行する新聞『日本』の記者となり、新聞『小日本』の挿絵を担当する。新聞『小日本』126号に俳句が掲載され、初めて「不折」の名を使用する。30歳の時、正岡子規とともに日清戦争に従軍し、中国に渡り書に興味を持つ。 31歳の時、堀場いとと結婚。日本新聞社に入社し引き続き挿絵を担当する。34歳の時、第10回明治美術展覧会に「淡煙」「紅葉村」を出品。「紅葉村」は1900年のパリ万国博覧会で褒賞を受賞する。その後、下谷区中根岸31番地に画室を新築し転居した。
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