上京と大蔵省時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 22:39 UTC 版)
明治4年(1871年)廃藩置県で静岡藩が解消され主な人材が東京へ移ると、卯吉も乙骨とともに上京する。島田とともに薬屋を志し、開校予定の科学専門学校に応募するが開校は中止となり、大学予備門に入学するがほどなく退学している。 尺振八の私立共立学舎に入学し、翌明治5年(1872年)に大蔵大輔井上馨と渋沢栄一が人材育成機関として構想した大蔵省翻訳局が発足し、乙骨や尺が登用されると島田とともに応募し上等生徒となる。翻訳局では経済学や西洋文明史が教授され、このころにギゾーなどの影響を受け医科から転向したといわれ、またキリスト教にも接している。だが、明治6年(1873年)に井上や渋沢が辞し、続いて大蔵卿に大隈重信が就くと組織改編で翻訳局は縮小され、翌年には廃止となり卯吉は大蔵省紙幣寮に異動となる。 明治9年(1876年)には旧幕臣の娘・千代と結婚。
※この「上京と大蔵省時代」の解説は、「田口卯吉」の解説の一部です。
「上京と大蔵省時代」を含む「田口卯吉」の記事については、「田口卯吉」の概要を参照ください。
- 上京と大蔵省時代のページへのリンク