三角山神社
三角山神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/30 10:23 UTC 版)
三角山は、古くは「滝社峰錫(ほうしゃく)権現(峰錫坊権現、峯先錫坊権現)」といい、山岳信仰・修験道の修行地で、江戸時代には鳥取藩の祈願所が置かれていた。山域は太平洋戦争前までは女人禁制で、麓には垢離場や女人堂が残されている。このため用瀬では山や神社を「峰錫さん」とも呼ぶ。享保年間から8月24日 (旧暦)を祭礼日とし、「用瀬の滝祭り」と称していたが、新暦となった現在では7月23日が祭礼日となっていて、名物の「あめ湯」の販売や松明行列などを行う用瀬の夏祭りになっている。 明治時代に神社体系の整備が行われると、「三角山神社」となり、山麓の東井村にあった妙見社(東井神社に改称)の摂社の扱いとなった。この時から修験道の聖地としての性格は失ったが、戦後まで女人禁制のしきたりは残っており、参道入口にある女人堂(山下本宮)までしか立ち入ることができなかった。 山頂にある本殿は天正期の戦乱で焼失し、1626年(寛永3年)に再建された記録がある。現在の本殿は1845年(弘化2年)のもので、明治期に方角を直されている。この本殿は1976年(昭和51年)に旧用瀬町の指定文化財となった。のちに用瀬町が鳥取市と合併したため、2014年現在は鳥取市の指定文化財となっている。祭神は猿田彦大神である。
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