三星 (菓子製造)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/14 08:16 UTC 版)
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本店(2024年10月)
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | ![]() 〒053-0814 北海道苫小牧市字糸井141 北緯42度36分55秒 東経141度31分39秒 / 北緯42.61528度 東経141.52750度座標: 北緯42度36分55秒 東経141度31分39秒 / 北緯42.61528度 東経141.52750度 |
設立 | 1898年(創業) 1964年1月1日(設立) |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 2430001053919 |
事業内容 | 和菓子・洋菓子、焼き菓子、パン、笹寿司の製造・販売 |
代表者 | 三浦実(代表取締役社長) |
外部リンク | https://yoitomake.jp/ |
株式会社三星(みつぼし 英: Mitsuboshi Co., Ltd.)は、北海道苫小牧市に本社のある製菓メーカー・企業。
概要
かつて苫小牧の勇払原野に自生していたハスカップを利用して開発した「よいとまけ」[1]をはじめ、和菓子・洋菓子やパンを製造・販売している[2]。
主な商品
沿革
1898年(明治31年)、作家・小林多喜二の伯父にあたる小林慶義が長男の幸蔵とともに小樽で菓子屋を始めた[3]。三星の屋号は、小樽の教会が「信仰・希望・愛」を表す3つの星として名づけた[3]。その後、小樽の店を幸蔵に任せた慶義は、1912年(明治45年)に次男の俊二とともに「王子製紙苫小牧工場」が操業を始めてまだ間もない苫小牧において「小林三星堂」を開店した[3]。同年に生まれた俊二の長男・正俊は幼少期から家業を手伝い、菓子(パン)づくりを追求していった[3]。1953年(昭和28年)に販売を始めたハスカップを使ったロールカステラ「よいとまけ」は、苫小牧を代表する銘菓となった[4]。1964年(昭和39年)に正俊は会社を株式会社化し、「三星」の礎を築いた[3]。正俊は三星マークを「郷土に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れる」三惚れマークと表現していた[3][4]。
2007年6月、二期連続で赤字を計上したことを受け創業者一族の小林正三が社長を退任。三星での勤務経験があり、代々の社長と親交のあった、大東開発社長の三浦実が社長に就任。生産管理の見直し、1つほどだった新商品を、すぐに店頭に並べ客の反応を見る形に変更し、年間10点ほどを発売。不振が目立つスーパー内のテナントを相次ぎ閉店し効率化した。スライサーを導入し、よいとまけを7等分にしたことや、全国放送の番組で紹介されたことにより人気が復活。赤字体質から脱却し、1億円の利益を生み出すまでに改善。15億円あった借入金も3分の1を返済し、2010年までに債務超過を解消した[5]。
2010年(平成22年)から大東開発とともに地元の女子アイスホッケーチーム「三星ダイトーペリグリン」のスポンサーとなって支援していたが2015年(平成27年)に撤退し[6]、チームは「道路建設ペリグリン」と改称した。
店舗
閉店した店舗
脚注
- ^ 同社ウェブサイトのURLは"yoitomake.jp"となっている。
- ^ “日本一食べづらい「よいとまけ」とは?”. 北海道ファンマガジン (2010年11月4日). 2018年8月15日閲覧。
- ^ a b c d e f “会社概要”. 三星. 2018年8月16日閲覧。
- ^ a b “よいとまけの生みの親 初代社長 小林正俊の肖像”. 三星. 2018年8月16日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『トップの決断 北の経営者たち』北海道新聞社、2012年5月25日、106-109頁。
- ^ “女子IH・ペリグリン支援先を模索中 三星、大東開発が撤退”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2015年6月17日) 2018年8月16日閲覧。
- ^ “コープさっぽろ 新道店 閉店のお知らせ”. 2024年7月19日閲覧。
- ^ “店舗一覧 | 株式会社 三星”. web.archive.org (2025年1月22日). 2025年1月28日閲覧。
- ^ “閉店のお知らせ”. 2025年1月28日閲覧。
- ^ “コープさっぽろ、苫小牧の2店閉店 北広島にトドック新センター 24年度事業計画:北海道新聞デジタル”. 北海道新聞デジタル. 2024年9月7日閲覧。
- ^ “【魚拓】【公式】生活協同組合桜木店”. ウェブ魚拓. 2024年10月3日閲覧。
関連項目
- 美唄市農業協同組合(JAびばい)
外部リンク
- 三星(みつぼし)
- ハスカップのお菓子 - 株式会社三星 - - YouTubeチャンネル
- 三星_(菓子製造)のページへのリンク