三之丸東照宮の模型とは? わかりやすく解説

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三之丸東照宮の模型

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 13:51 UTC 版)

名古屋東照宮」の記事における「三之丸東照宮の模型」の解説

東京大学工学部建築学科所蔵に「旧備品台帳」の説明に「権現造」とだけ記載されている東照宮社殿の約1/20スケール精密に作られ模型存在している。これは、戦災焼失した名古屋東照宮社殿模型で、社殿焼失前の1937年昭和12年)頃に調査が行われ、それをもとに製作され模型であると、太田博太郎大河直躬建築史家調査指摘されており、戦災以前名古屋東照宮の手がかりを知る貴重な模型だとされている。この名古屋東照宮権現造模型1937年昭和12年)に名古屋汎太平洋平和博覧会行われた時、名古屋出身伊藤流工匠加納茂一博覧会為に制作して出展した数ある社殿模型の中の一つであり、博覧会の後に加納東京大学寄贈したのである。なお、戦災以前名古屋東照宮実測図はなく、修理工事報告書文化庁保存図面存在していない。この名古屋東照宮権現造模型では戦前撮影され10ある名古屋東照宮写真比べて一部相違点見られる部分があるが、ほぼ姿形一致しており、かなり忠実に設計製作されている[出典無効]。模型では、現在の本殿である四方寄棟造御霊屋とは当然姿形違い久能山東照宮日吉東照宮の様な権現造で、千木・鰹木が2本付いた瓦屋根檜皮色で、白壁朱色と扉などに極彩色ほどこされており、模型内部精密であり、一部造作造られていて、扉を開くと内部も覗く事が出来様に作られているなど、かなり精密に作られている。『小さな建築模型トポロジーINAX BOOKLET Vol.7 No.21987年昭和62年))などで、この戦災以前名古屋東照宮模型紹介された。

※この「三之丸東照宮の模型」の解説は、「名古屋東照宮」の解説の一部です。
「三之丸東照宮の模型」を含む「名古屋東照宮」の記事については、「名古屋東照宮」の概要を参照ください。

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