万年国会の解消
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1989年1月26日、第1期の立法委員と国民大会代表らに引退を促す「第一期資深中央民意代表依願退職条例(繁体字中国語: 第⼀屆資深中央⺠意代表⾃願退職條例)」が立法院で可決された。しかし、中国国民党の外省人ベテラン議員らは、引き続き立法院をコントロールしたいと考え、本省人国民党議員や民主進歩党議員らと対立した。この時期、一部の民進党立法委員と外省人国民党立法委員との乱闘がしばしば発生した。 1990年3月、多くの大学生が中正紀念堂前に集まり抗議活動を行った(三月学運)。学生たちは、万年国会の議員である国民大会代表による投票で総統が選ばれることにも抗議した。この選挙で総統となった李登輝は、三月学運の代表者たちの意見を受け入れ、中華民国憲法の修正を進めた。司法院大法官会議も同年6月21日に新たな解釈を行い、第1期の議員らの職権行使を1991年12月31日までに終わらせるとともに、次期議員の選挙を行うよう政府に求め、1959年の解釈を修正した。その後、1991年5月1日に動員戡乱時期臨時条款は廃止されて中華民国憲法増修条文が公布・施行され、同年12月には第2期国民大会代表を選ぶ選挙(中国語版)によって新たな議員が選ばれ、同年12月31日をもって40年以上にわたり国民大会代表を務めていた565人が退任し、その代わりとして十二分な「退職金」を受け取った。 翌1992年5月28日に公布された中華民国憲法増修条文に基づき、監察委員の選出は、選挙による方式から、総統が指名し国民大会の同意により任命する方式に改められた。さらに同年12月には立法委員選挙が行われ、立法委員全員が改選された。これによって「万年国会」は名実ともに過去のものとなった。
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