一代家老
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:33 UTC 版)
元来は家老を出せる家柄ではない家から家老に就任した者を一代家老(いちだいがろう)と呼ぶ藩が多い。学術上や近現代の著述では抜擢家老(ばってきがろう)と呼称されることもある。江戸時代も年代が経つにつれて一代家老が登用される例が増えてゆき、一代家老に対して家老連綿の家柄である門閥出身の家老を永代家老(えいだいがろう)と区別するのが一般的である。席次は永代家老の方が高い。「一代家老」の名のごとく、基本的に家老職に就けるのは本人のみで、その子息に家老職が保障されていないが、一代家老就任者の家は家老を出せる家柄に昇格することが多く、実質的に世襲している場合もあり、中には米沢藩の莅戸善政、莅戸政以のように、一代家老を数代輩出して永代家老家に昇格する場合もある。 有能な者が実力によって一代家老に登用された代表例として、古くは元禄期の赤穂浪士の討ち入りで有名になった赤穂藩の大野知房や、寛政期の米沢藩の上杉治憲の改革のブレーンであった莅戸善政、幕末に活躍した長岡藩の河井継之助(郡奉行奉行格加判)、薩摩藩の調所広郷、長州藩の村田清風などが挙げられる。 一方で、永代家老が処罰される場合は先祖の勲功が考慮されて、当主とその嫡子が処罰されても家格降格や取り潰しになることはあまりないが、一代家老が処罰される場合は当主が処罰されるに止まらず家格降格になることが多い。
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