ヴオクシ川北岸占領とは? わかりやすく解説

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ヴオクシ川北岸占領

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 08:40 UTC 版)

フィンランドのカレリア地峡再占領」の記事における「ヴオクシ川北岸占領」の解説

ソビエト計画では大規模な反攻計画8月10日始めるつもりであった第23軍はラーイサーラ(Räisälä 現在のMelnikovo)にソビエト265師団援軍受けた。この攻撃フィンランド第18師団と、第10師団向けて行われ道路取り戻し北西ラドガ湖フィンランド軍包囲することを目的にしていた。同時期にフィンランド第18師団休養取り同日攻撃再開するように命令受けていた。このとき、ソ連軍がインキラ(Inkilä)から攻撃開始した、しかし、フィンランド側は5km西部戻ったのみであったソ連軍攻撃地の利を得ることに失敗しフィンランド軍攻撃によってソ連軍補給路が切断された。続くフィンランド側の反撃ソ連軍南部退却した。 このソ連軍攻撃によってフィンランド軍ヴオクシ川到達するのは遅れ、河岸の町、アントレア(Antrea 現在のKamennogorsk)に到達したのは8月14日のことになった。ここでフィンランド軍は川の北岸(左岸)のソ連軍兵力一掃続けたソ連軍南西部ヴィープリからエンソ(Enso 現在のSvetogorsk)への兵力移動開始し8月16日にはアントレアへの反撃行った。しかし、この攻撃にも失敗し8月21日ソ連軍やむを得ず兵力北岸から避難させた。 東部フィンランド軍南東向けて進軍し8月17日にヴオサルミ近郊上陸したまた、8月20日には橋頭堡を得るに至ったソ連側第10師団への反撃8月14日行われた。この攻撃によりフィンランド軍増援到着し後退止めるまでにフィンランド軍を2kmほど後退させた。第10師団ラドガ湖畔から出発し第15師団26歩兵連隊方面へと進んだ。これらの兵力はラーイサーラのソビエト265師団対抗するために終結された。8月15日には第10師団単独でラーイサーラのソビエト軍包囲するための攻撃開始し17日にはこれを包囲18日には捕獲したその後ヴオクシ川北岸(左岸)にあるソ連軍北部への出口一掃した8月19日第10師団の第43歩兵連隊南部への攻撃継続し8月21日にはスヴァント湖(Suvanto)に到達した。更に第10師団第1歩連隊東部へと進攻続けた。この進攻ヴオクシ川北岸にいたソ連軍包囲されるではないかという恐怖与え、これらの部隊カキサルミから退却始めた。しかし、この部隊8月21日捕獲された。 この攻撃南部向かって続けられた。小さな国境部隊攻撃遅延させよう攻撃続けた。タイパレーン川(Taipaleenjoki)、ラドガ湖岸に再度到達したのは8月23日のことであった。しかしフィンランド軍は川を越えて進軍することができなかった。

※この「ヴオクシ川北岸占領」の解説は、「フィンランドのカレリア地峡再占領」の解説の一部です。
「ヴオクシ川北岸占領」を含む「フィンランドのカレリア地峡再占領」の記事については、「フィンランドのカレリア地峡再占領」の概要を参照ください。

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