ヴェルネの旅路
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1753年9月に注文を受けたヴェルネは、翌10月には家族とともにマルセイユに到着した。1754年9月まで1年間にわたってヴェルネはマルセイユに滞在し、マルセイユの2点を描いた。1954年9月にトゥーロンに移り、『バンドル湾の眺め、マグロ漁』と『トゥーロン新港の眺め』を描いた。以上の4点は1755年のサロンに出展された。 トゥーロンでは、この他にも『トゥーロンの街と停泊地の眺め』と『食糧倉庫側から見たトゥーロン旧港の眺め』を制作した。アンティーブを訪れた後、1756年10月にセットに到着し、描きかけの『アンティーブ港』を完成させた。セットでは、1757年5月までに『セット港の眺め』を描き終えた。以上の4点は1757年のサロンに出展された。 地中海の主要な5つの港を8枚のカンバスに描き終えたヴェルネは、1757年5月に大西洋沿岸のボルドーに移り、2点を描いた。南下して1759年7月にバイヨンヌに到着して2年間この地に滞在し、予定を変えてバイヨンヌの絵画を2点描いた。1761年7月にラ・ロシェルに赴いてほぼ1年間滞在した後、ロシュフォールに移った。『ロシュフォール港の眺め』を描き終えたヴェルネは、1762年にパリに戻って、いったん筆を置いた。 地中海と大西洋を終えて、次はイギリス海峡沿岸を進んでカレー港が終着点となるはずだった。しかしヴェルネはこれをディエップ港に変更することを提案し、1765年に『ディエップ港の眺め』が制作された。イギリス海峡沿岸がこれ以上描かれることはなく、『ディエップ港の眺め』がこの連作の最後の作品となった。
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