ヴェルファースハイムおよびヴォーンバッハ近郊のローマ時代の遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/21 11:44 UTC 版)
「ヴェルファースハイム」の記事における「ヴェルファースハイムおよびヴォーンバッハ近郊のローマ時代の遺跡」の解説
フリートベルクからのローマ街道が、ヴェルファースハイムおよびヴォーンバッハの地域を通って、アルンスブルク=リヒ近郊のローマ軍のカステル・アルテンブルクに通じている。これとは別に、カステル・エヒツェルから、この村のすぐ西側をかすめて、ヴォーンバッハとミュンツェンベルクとの間で、前述のローマ街道につながる道があった。エヒツェル - アルンスブルク街道の中間部分は、ヴォーンバッハとヴェルファースハイムとの間の街道沿いであったと思われるが、この痕跡は何世紀もの間に繰り返された耕地整理によって完全に姿を消した。ヴォーンバッハからミュンツェンベルクへの州道は、森の入口まではローマ街道の跡と同一である。その後さらに森を通ってガーベルングまでは、既述前者のローマ街道を通る。中世の境界石はこの地点をマークしている。 最初に述べたローマ街道から西にわずか数分離れたヒンターヴァルトにローマ時代の農場跡がある。これは、地元で「シュタイネルネ・ハウス」(石の家)と呼ばれている。この遺跡は、一辺が約 160歩の低いほぼ正方形の土塁からなり、その中に壁が造られていた。ローマ街道に近い東側には現在も入口が認められる。西側近くには一辺約 20歩のやはり正方形の建物の基礎壁が遺っている。この農場跡から北西約 800 m のローマ街道沿いにローマ時代の信号塔の遺跡も見られる。この塔は、リーメス=システムの信号伝達に使われていたものであり、おそらく周辺のカステルから目視で連絡するために、高い位置に建てられた。同様の信号塔はバート・ナウハイムのヨハニスベルクにもある。 1976年のアウトバーン A45号線の工事により、ヴォーンバッハの西約 1 km の森の外れから数多くの壁の跡が発見された。埋蔵文化財保護機関の調査により、ローマ人の荘園別荘(ヴィラ・ルスティカ(ドイツ語版、英語版))が発掘された。この発見の噂はたちまち広がり、この町や周辺集落から数多くの見物人が現れた。彼らは、約 1 m ほどの高さで遺された古代の壁に賛嘆の声を上げた。アウトバーンの建設を続けなければならなかったため、発掘は完全には行われず、発見された建物は再び埋め戻された。現在の A45号ギーセン – ハーナウ線はこの遺跡の真上を通っている。アウトバーンのルート上 80 m 以上にわたって延びていた建物の遺跡は地盤改良工事で完全に破壊された。 もう一つの地上からは見えないローマ時代の荘園「アウフ・デム・グライヒェン」が、フリートベルク – アンスブルクを結ぶローマ街道近くのヴェルファースハイム付近にあった。空中考古学の航空測量によって識別され、主館から 50 m 離れた収穫のための館の泉が発掘された。さらに付属墓地のいくつかの墓も発掘された。ヴォーンバッハ荘園の裕福なローマ人女性の墓石は、フリートベルクのヴェッテラウ博物館で展示されている。
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