ヴェルファースハイムの宗教改革
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「ヴェルファースハイム」の記事における「ヴェルファースハイムの宗教改革」の解説
ヴェルファースハイムは、元々はゼーデルの支部教区であった。ゼーデル教区は元々マインツ司教(ドイツ語版、英語版)の所領であり、このためマルティン保護権を排除していた。その後、12世紀に創設されたイルベンシュタット修道院がヴェルファースハイムとゼーデルを獲得した。ゼーデルの教会も修道院の下部組織に組み入れられた。当時の牧師ザイフリート・ベンダーは、16世紀後半にゼーデルで福音主義ルター派の礼拝を行った人物であった。宗教改革が行われた精確な年は明らかではない。ヴェルファースハイムはゼーデルの母教会から分離され、1560年代には母教会やイルベンシュタット修道院とは無関係に、ヴェッツラーの神学者アントニウス・シューラーを教師として雇い入れた。その後人々は彼に教区の礼拝も依頼した。一方ゼーデルのザイフリート・ベンダーは高齢で病に罹ったため、アントニウス・シューラーにゼーデルでの礼拝も併せて行うよう依頼した。ベンダーの死後、ヴァーレンティーン・テクスターがゼーデル教区の諸権利を獲得し、アントニウス・シューラーを追放した。ヴェルファースハイムでの礼拝の権利もテクスターに買収された。テクスターの後継者のジーモン・ロイレリウスは、ゼーデルで改革派の礼拝を行った。このため彼はゼーデルで抵抗にあった。ゼーデルの裁判所と行政に対してイルベンシュタット修道院は不平を申し立てている。このため修道院はゼーデルのロイレリウスを解任した。しかし彼は1611年にヴェルファースハイムに移った。ゼーデルの教区から解任された人物をヴェルファースハイムの牧師として受け容れたことは、ゼーデルとヴェルファースハイムの教会の分離を意味した。 1612年のロイレリウスの死後、ゼーデルの教会は古い権利を再び手にしようとした。教会の書類にヴェルファースハイムの抵抗についてのメモが遺されている。このメモによれば反抗勢力は改革派の牧師エーバーハルト・ヴェナトールを任命した。イルベンシュタット修道院は、三十年戦争の際にヴェルファースハイムで対抗宗教改革運動を起こそうとしたが、完全に失敗した。
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