ヴィンランドとランス・オ・メドゥ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/10 08:52 UTC 版)
「ノース人によるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「ヴィンランドとランス・オ・メドゥ」の解説
詳細は「ヴィンランド」および「ランス・オー・メドー」を参照 アイスランドのサガ(赤毛のエイリークのサガおよびグリーンランド人のサガの、ハウクスボークとフラート島本の章)によると、ノース人がグリーンランドの開拓地を設立してからほんの数年後、彼らはその西側にある土地の探検を始めていた。985年、アイスランドからグリーンランドまでの行程を、400人ないし700人の開拓者を乗せた25隻の船隊が出発し、そのうち、ビャルニ・ヘルヨルフソンという商人が風に吹き流されてコースを外れ、3日間航海した後に西の土地を目撃した。ビャルニはその父の農園を見出すことにしか興味がなかったが、その発見の模様をレイフ・エリクソンに告げた。エリクソンはその地域を詳細に探検し、15年後には小さな開拓地を造った。 サガによれば、この探検期間に発見された3つの地域がある。平らな石の土地を意味する「ヘッルランド」、森の土地を意味するマルクランド、それにより幾らか南のワインの土地を意味するヴィンランドだった。マルクランドは、樹木の少ないグリーンランドの開拓者には絶大な興味があった。ヴィンランドについては近代の言語学者が草原の大地を意味すると主張している。サガで述べられている開拓地はヴィンランドだった。 エイリークの子供達、レイフ、ソルヴァルド、ソルステインおよび妹のフレイディースの4人は全て北アメリカ大陸を訪れることになり、ソルヴァルドはそこで死んだ。
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