ヴィスコンティとの愛と死別
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「ヘルムート・バーガー」の記事における「ヴィスコンティとの愛と死別」の解説
大学在学中の1964年、クラウディア・カルディナーレ主演の『熊座の淡き星影』で、たまたまトスカーナ地方のロケに来ていたヴィスコンティらの撮影現場に居合わせた。監督はギャラリー(見物客)の1人に過ぎなかったヘルムートに目が止まり、寒い時期の撮影だったため、助監督にマフラーを持っていかせたが、これが運命的出会いであった。会食がきっかけで数カ月後に彼はヴィスコンティの邸宅に呼ばれ、66年には『華やかな魔女たち』で本格的なスクリーン・デビューを果たすこととなる。無名のヘルムートはホテルの従業員という役を与えられ、その後彼は徐々に仕事を増やし、67年に『ヤング・タイガー』では初主演を果たす。ただし、この映画は若手の新人を集めただけの単純な青春コメディーであり、ヘルムートにとって最初で最後の青春系アイドル映画の出演だった。その後数本の映画やテレビ映画に出演したのち、バーガーは再びヴィスコンティと組んだ耽美派的映画『地獄に堕ちた勇者ども』でスター街道を歩む。同作品ではイングリッド・チューリンらと共演した。『地獄に…』の撮影時は完璧主義者で有名なヴィスコンティはヘルムートに何度もNGを出したという。特にあの女装シーンでの歌と踊りでマレーネ・ディートリヒを完璧にコピーできるように要求した。そんな苦労が実ったのかディートリヒ本人から直々の手紙を貰ったと自叙伝の『Ich』に記されている。ヘルムート曰く今でもその大女優からの手紙はとってあるという。この映画を見たビリー・ワイルダーは「全世界の中でヘルムート・バーガー以外の女には興味がない」と評した。 バイセクシュアルのヘルムートと、同じくバイのヴィスコンティの仲は公然のものとなった。ヘルムート曰く、ヴィスコンティを誰よりも師として尊敬し、時に父親以上に父親的な存在であり、そして「恋人」でもあったという。ヴィスコンティはヘルムートに様々な文化的素養を身につけさせ、レナード・バーンスタイン、マリア・カラス、ルドルフ・ヌレエフなど多くの文化人に会わせた。一方でヘルムートを理解しようとビートルズを自宅に招いたこともあった。ヴィスコンティは嫉妬深く、ヘルムートの夜遊びを規制した。あまりの関係の深さに、ヘルムートが姉として慕っていたロミー・シュナイダーからは“バーガー嬢”、あるいは“バーガー夫人”とからかわれたほどであったという。
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