ヴァイオリン協奏曲 (ベルク)とは? わかりやすく解説

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ヴァイオリン協奏曲 (ベルク)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/03 04:43 UTC 版)

音楽・音声外部リンク
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Alban Berg - Violinkonzert - フランク・ペーター・ツィンマーマン独奏、マレク・ヤノフスキ指揮ケルンWDR交響楽団による演奏。WDRクラシック公式YouTube。

アルバン・ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》は1935年8月11日に完成された。おそらくベルクの最も有名な作品であり、なおかつ最も演奏回数に恵まれた作品である。「ある天使の思い出に」(Dem Andenken eines Engels)の献辞が付されているが、ときにこれが副題のように看做されることもある[1]

着想と作曲

1935年2月、かねてから新ウィーン楽派の音楽に惹かれていた[2]ヴァイオリニストルイス・クラスナーがベルクにヴァイオリン協奏曲を依嘱した[注 1]。当時ベルクはオペラルル》に取り組んでおり、しばらく協奏曲は手付かずのままであった。しかし4月22日アルマ・マーラーヴァルター・グロピウスともうけた娘マノン・グロピウス英語版が、ポリオのために18歳という若さで急死する。ベルクはマノンを可愛がっていたため、この訃報を知ると、オペラをいったん脇にのけ、クラスナーから委嘱されていた協奏曲を「ある天使の想い出に」捧げるものとして作曲に取りかかった。つまり、「ある天使」とはマノンのことである。

自身で「今までこれほど熱心に働いたことはありません」と語ったように、遅筆のベルクには珍しく《ヴァイオリン協奏曲》の作曲は非常にはかどり、7月にはショートスコア(簡略譜)が完成、8月にオーケストレーションも脱稿した[3][4]。しかし生来病弱だったベルクは作曲中に体調を崩して[注 2]、この作品が自分自身へのレクイエムにもなるであろうと予想し[注 3]、そしておそらく《ルル》を完成できないであろうことを察知していた。ベルクは敗血症のため1935年12月24日に急逝し[1]、《ヴァイオリン協奏曲》はベルクが最後に完成させた作品となった。したがってベルクは本作の実演に接することができず、《ルル》も未完に終わった。

初演

楽器編成

楽曲構成

演奏時間はおおよそ25~30分。「アンダンテ」と「アレグロ」の2つの楽章で構成されているが、各楽章はさらに2つの部分に分けられる。

第1楽章は現世におけるマノンの音楽的肖像であるが、第2楽章はマノンの闘病生活と死による浄化(昇天)が表現されている[1]

他のほとんどのベルク作品のように、本作品においても、恩師アルノルト・シェーンベルク譲りの十二音技法が、より自由な様式によるパッセージに結び付けられている。通常の十二音作品の場合と同じく、無調性による作品でありながら、調的な中心を感じさせる点で特異である。これは、民謡やバッハカンタータの引用に明らかなように、本作品が調性音楽と関連づけられているためもあるのだが、下図のように、基礎音列が、短三和音長三和音の交替からなるためである。そして最後の4音は、全音音階を含んでいる((1)ソ、(2)♭シ、(3)レ、(4)♯ファ、(5)ラ、(6)ド、(7)ミ、(8)♯ソ、(9)シ、(10)♯ド、(11)♭ミ、(12)ファ)。かくて基礎音列によって、無調性と調性の葛藤が基礎づけられるのである。

12音の音列なので、半音階のすべての音がここには含まれている。しかしながら、調的な要素も強力に流れ込んでいる。音列中の最初の3音((1)~(3))は、ト短調の主和音を構成する。次の3音((3)~(5))はニ長調、その次((5)~(7))はイ短調、さらにその次((7)~(9))はホ長調分散和音という具合である。そして最後の4音((9)~(12))が全音音階なのである。またこの音列はヴァイオリン開放弦を、低いほうから高いほうへと順序良く含んでおり((1), (3), (5), (7))、作品の開始部分に現われるのが、まさにこの動きである。

音列の最後の4音である、上昇全音音階は、コラール「もう十分です Es ist genug」の冒頭句に一致する。ベルクはこれを、バッハのカンタータ第60番《おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ》の終曲(譜例)から直接引用し、「オルガンのような」[6]クラリネットの合奏に演奏させている。

 { \new PianoStaff << \new Staff \relative c'' { \key a \major \clef violin \numericTimeSignature \time 4/4 \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo 4 = 80 <<\new Voice = "one" {\voiceOne a2 b4 cis dis2\fermata r4 dis e b b d cis2.\fermata} \new Voice = "two" {\voiceTwo e,2 e4 d8 cis gis'2 r4 gis gis4. a8 gis fis gis e a2.}>>} \new Staff \relative c' { \clef bass \key a \major \numericTimeSignature \time 4/4 <<{cis2 b4 fis' fis2 r4 bis, cis8 dis e4 e e e2.}\\{a,2 gis4 ais bis2\fermata r4 gis cis8 b16 a gis8 fis e d cis b a2.\fermata}>> } >> }

第1楽章「アンダンテ」

「アンダンテ」と記された第1楽章の前半は10小節の導入をもつ三部形式で構成され[注 4]スケルツォ調の「アレグレット」が後に続く。この後半部分はスケルツォ-第一トリオ-第二トリオ-第一トリオ-スケルツォというシンメトリックな構成を持ち、終盤には金管楽器によってケルンテン地方の民謡「スモモの木で一羽の鳥が」(Ein Vogel auf'm Zwetschenbaum) が引用されている[7][8]

第2楽章「アレグロ」

第2楽章の前半は三部形式をとる猛烈な「アレグロ」で、付点リズムが特徴的な単一のリズム細胞にほとんど依拠している。この部分は「カデンツァ」と表現される[6]ように、独奏ヴァイオリン・パートは非常に困難なパッセージに終始する。オーケストラはクライマックスに達すると、いよいよ激しさを募らせる。最終部分(第2楽章の第2部、全体的に言うと第4部)は「アダージョ」の速度が指定され、より穏やかな雰囲気に転じる。コラールが独奏とクラリネット合奏によって奏され、2つの変奏がそれに続いたあと、ケルンテン地方の民謡の回想と静かなコーダによって締めくくられる[7]

注釈

  1. ^ 当時ベルクは、ナチス政権の締め付けによって経済的な問題をかかえていた。Jarman, Douglas (1991) Alban Berg: Lulu. Cambridge University Press. p. 4.
  2. ^ 喘息の再発と心臓の不調、歯痛に悩まされた。作品の完成前後には虫刺されが悪化し、治療によって一時は回復したが、尾骶骨付近の膿瘍に加えて各所の腫れが発症し、モルヒネや多量のアスピリンで痛みを抑えていた。Pople (1991) pp. 41-43.
  3. ^ ダグラス・ジャーマン (Douglas Jarman) の研究による。作品はベルクの自伝的な要素を含んでいると考えられ、引用されたケルンテン地方の民謡の歌詞に現れる「ミッツィー」Mizzi は「マノン」の愛称であるとともに、ベルクが17歳のときに私生児を生んだケルンテン地方出身の女中マリー (Marie Scheuchl) の愛称でもある。またベルク自身と晩年の恋人ハンナ・フックス (Hanna Fuchs) を象徴する「23」と「10」の数字が随所に用いられており、第2楽章の第222小節ではフックスのイニシャルであるH-F音を独奏が強調する。浜尾 (1998) pp. 89-90.
  4. ^ 各楽章の前半にソナタ形式の形跡をみる場合もある。Pople (1991) p. 110.

出典

  1. ^ a b c 柴沼純子 (2020)「ベルク ヴァイオリン協奏曲〈ある天使の思い出に〉」『月刊オーケストラ』2020年2月号 (PDF) - 読売日本交響楽団。2023年12月26日閲覧。
  2. ^ Pople (1991) pp. 26-27.
  3. ^ 浜尾 (1998) p. 89.
  4. ^ Pople (1991) pp. 40-41.
  5. ^ Pople (1991) p. 44.
  6. ^ a b ベルクの監修のもと弟子のヴィリー・ライヒ (de:Willi Reich) が記した解説による。Pople (1991) pp. 32-33.
  7. ^ a b 浜尾 (1998) pp. 90-94.
  8. ^ Jan Reichow. “Melodien... Vom Choral zum Raga”. janreichow.de. 2014年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月7日閲覧。

参考文献

  • Anthony Pople, Berg: Violin Concerto (Cambridge University Press, 1991)
  • 浜尾房子「ヴァイオリン協奏曲」『作曲家別名曲解説ライブラリー16 新ウィーン楽派』音楽之友社、1998年、88-94頁。

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