ローマ統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/29 09:34 UTC 版)
「ブルターニュの歴史」の記事における「ローマ統治時代」の解説
紀元前56年、一帯はユリウス・カエサル指揮下のローマ軍によって征服された。ウェネティ人貴族らは殺されるか奴隷として売り払われた。ローマ人は占領地を『アルモリカ』(ケルト語の「海岸地域」を意味する言葉をラテン語に当てはめた)と呼び、ガリア・ルグドゥネンシス(Gallia Lugdunensis)の一部とした。現在あるコート=ダルモール県(Côtes-d'Armor)の名は古代の名前アルモリカにちなんだものである。ディオクレティアヌス帝の改正後、地域はディオケセス・ガリアルム(dioceses Galliarum)の一部となった。 3世紀、バガウダエ族が勢いを増し、社会不安と人口減少を引き起こして、多くの村々が破壊された。町があったという場所には、人口減少を物語る厚い黒土の層が見つかっている。コンスタンティヌス1世(307年-350年)時代、ルネサンス時期をもたらした。おびただしい硬貨が鋳造された。トラクトゥス・アルモリカヌス(tractus Armoricanus)時代には、ブレスト、アヴランシュ、ル・ヨウドのような新たな砦が築かれた。4世紀頃、ヴェネティとオシスミ領内でマウリタニア軍が現れるなど、地方で合同の動きが活発となった。フランク化したラエティ族はレンヌに出現した。キリスト教化は通常4世紀後半と言われる。しかし物的証拠はまれである。
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