ローマ属州化以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/19 14:19 UTC 版)
知られている限りで最も古いゲタエ人の首領はドロミヘテ(Dromihete、又はDromichaetes)(紀元前300年頃)と伝わっており、当時はドナウ川下流域が勢力圏であった。紀元前2世紀半ばのルボボステス(Rubobostes)より徐々に西進を始めて、紀元前2世紀末から紀元前1世紀始めに頃に現在のトランシルヴァニア地方に住んでいたガリア人を追い出す形で移住したとされる。 その頃より徐々に文献にも「ダキア人」の名が出るようになり、例えばガイウス・ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』にも記された。度重なるバスタルナエ族との抗争や、共和政ローマとの抗争(紀元前112年〜前109年、紀元前79年)で疲弊したダキアを立て直したのは、ブレビスタであった。ダキア全部族を統一したブレビスタはストラボンによると20万とも称される兵を率いて、現在のハンガリーに居住していたスコルディスキ族やボイイ族らを攻撃して、これら部族の領土を奪い取った。最終的にブレビスタはティサ川流域からドナウ河畔、パンノニア地方や黒海沿岸にまで支配地を拡大した。同時期にガリア戦争を遂行していたカエサルは、終身独裁官となった後にパルティアやゲルマニアと共にダキアのローマ属州化を目論んだものの、カエサルが暗殺されたことで免れた。 ブレビスタの死後は遺産相続ルールに従って王国は4つに分割された。その後継者の一人がコティソ(en:Cotiso)であったが、ローマを脅かす力は最早失っていた。
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