ローマ宣教とその影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:15 UTC 版)
西方では、ローマがキリスト教の国教化前にローマ帝国全域にマニ教信者が増加し、原始キリスト教と並ぶ大勢力となった。ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、領内のマニ教拡大に不安を覚え、297年にペルシアのスパイとしてマニ教徒迫害の勅令を発布した。4世紀~5世紀のキリスト教教父アウグスティヌスもカルタゴ遊学の一時期マニ教を信奉したが、その後回心してキリスト教徒となった。 中世ヨーロッパの代表的な異端カタリ派(アルビジョワ派)について、現世否定的な善悪二元論など、マニ教の影響が指摘される
※この「ローマ宣教とその影響」の解説は、「マニ教」の解説の一部です。
「ローマ宣教とその影響」を含む「マニ教」の記事については、「マニ教」の概要を参照ください。
- ローマ宣教とその影響のページへのリンク