ロバート・ゲイツとは? わかりやすく解説

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ロバート・ゲーツ

(ロバート・ゲイツ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 16:23 UTC 版)

ロバート・マイケル・ゲーツ
Robert Michael Gates
生年月日 (1943-09-25) 1943年9月25日(80歳)
出生地 アメリカ合衆国
カンザス州ウィチタ
出身校 ウィリアム&メアリー大学
インディアナ大学ブルーミントン
ジョージタウン大学
所属政党 無所属
称号 文学士(ウィリアム&メアリー大学)
文学修士(インディアナ大学ブルーミントン)
哲学博士(ジョージタウン大学
大統領自由勲章
旭日大綬章
配偶者 ベッキー・ゲーツ
子女 2人
サイン

在任期間 2006年12月18日 - 2011年7月1日
大統領 ジョージ・W・ブッシュ
バラク・オバマ

在任期間 1991年11月6日 - 1993年1月20日
副長官 リチャード・ジェームズ・カー
ウィリアム・オリバー・ステュードマン
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アメリカ合衆国上院軍事委員会の公聴会で質問に答えるゲーツ(2006年12月5日)
日本で日米共同声明を発表をする石破茂防衛相(左)と(2007年11月8日)
菅直人首相と

ロバート・マイケル・ゲーツ英語: Robert Michael Gates, Ph.D.、1943年9月25日 – )は、アメリカ合衆国政治家ジョージ・W・ブッシュ政権2期目とバラク・オバマ政権1期目で第22代アメリカ合衆国国防長官を務めた。第15代中央情報長官CIA長官)、テキサスA&M大学学長を歴任した。現在は第24代ウィリアム・アンド・メアリー大学総長である。

所属政党については、ジョージ・H・W・ブッシュジョージ・W・ブッシュ政権などでの閣僚・補佐官経験から共和党員と思われがちであるが、実際は無所属を貫いており共和党員として登録したことはない[1]。ただしゲーツ自身は自らのことを「共和党支持者だと思っている」とのことである[2]

ビル・ゲイツと同姓だが、日本では慣用的に「ゲイツ」ではなく「ゲーツ」とされることが多い。

来歴

初期の経歴

1943年9月25日にアメリカのカンザス州ウィチタに誕生する。1961年に公立のウィチタ東高校(en:Wichita High School East)をオールAの成績で卒業後、奨学金を受けてウィリアム・アンド・メアリー大学(W&M)に入学する[3]。W&M在学中は歴史学ヨーロッパ史)を専攻すると共に、全米やフィリピンに組織を持つ学生団体(フラタニティ)である「アルファ・ファイ・オメガ英語版」に所属するなど、勉学以外にも様々な活動に関わった。1965年にW&M大学を卒業後はインディアナ大学に移って修士課程(歴史学専攻)で学び、翌年の1966年に修士号を取得する。1974年にジョージタウン大学から博士号(ロシア・ソビエト史)を取得。

アメリカ中央情報局分析官としての経歴

インディアナ大学修士課程在学中にアメリカ中央情報局(CIA)からスカウトを受け、修士課程を修了した1966年に入局した。入局当初はCIA本局ではなく、兵役の関係から情報士官としてアメリカ空軍に入隊することになり、1967年1月4日に少尉として任官、以後1969年に除隊するまで戦略航空軍団(SAC)の拠点の1つであったミズーリ州ホワイトマン空軍基地大陸間弾道ミサイル(ICBM)・ミニットマンの運用担当要員に対する情報(インテリジェンス)報告任務に従事した[4]。また、少尉任官後間も無い1967年1月7日にベッキー夫人とワシントン州シアトルで結婚した。[4]

除隊後はCIAに復帰し、情報本部ソ連東欧部の分析官となる。1974年から1979年までアメリカ国家安全保障会議に出向した後、1979年後半にCIAに復帰し、情報本部戦略評価センター長・国家情報官(ソ連東欧担当)を経て、1981年から翌年の1982年まで中央情報長官・副長官室(DCI/DDCI Executive Staff)部長を、1982年から1986年まで情報担当次官(Deputy Director for Intelligence,DDI)にそれぞれ務め、1986年4月には、ロナルド・レーガン政権の下で、ジョン・マクマホンの後任として中央情報副長官に就任した。1987年初めにはレーガン大統領から中央情報局長官に指名されるが、イラン・コントラ事件へのゲーツの関与疑惑を問題視したアメリカ合衆国上院がこの人事を承認しない姿勢を明確にしたため[5]、指名を撤回されている。

ジョージ・H・W・ブッシュ政権

1989年1月20日にジョージ・H・W・ブッシュ政権が発足した。ゲーツは引き続き中央情報副長官を務めていたが、同年3月、空席であった国家安全保障問題担当大統領次席補佐官に任命され、これに転じた。1991年5月14日には、ウィリアム・H・ウェブスター長官の後任として中央情報長官(CIA長官)に指名された。レーガン政権以来2度目の指名となった今回は上院で承認され、承認翌日の1991年11月6日に就任した。CIA生え抜きの人物が中央情報長官に就任するのはCIA史上初のことであり、1993年ビル・クリントン政権への政権移行まで長官を務めた。

アメリカ中央情報局長官退任後は大学教授に転身し、テキサスA&M大学にて1999年から学部長に2002年から学長を務めた。

ジョージ・W・ブッシュ政権

2006年ドナルド・ラムズフェルド国防長官の辞任に伴い、ジョージ・W・ブッシュ大統領から後任に指名された。同年12月29日にアメリカ合衆国上院から承認を受け、第22代アメリカ合衆国国防長官に就任。2007年イラクに対するアメリカ軍増派作戦を主導し、イラクの治安を改善させるのに成功した。

バラク・オバマ政権

2009年1月20日に発足したバラク・オバマ政権でも国防長官として留任した。アメリカにおいて対立党派などから閣僚を起用するのは珍しいことではないが、政権交代の際に国防長官が留任したのはアメリカ史上初めてのケースである。2011年7月1日に国防長官を退任し、国防総省で開かれた退任式典でオバマ大統領から大統領自由勲章を授与された。

2011年9月にウィリアム・アンド・メアリー大学総長サンドラ・デイ・オコナーの後任に選出され、2012年2月3日に就任した[6]

2017年に秋の叙勲で旭日大綬章を受章した[7][8]

著書

  • From the Shadows: The Ultimate Insider's Story of Five Presidents and How They Won the Cold War, Simon & Scribner, 2007. ISBN 978-1416543367
  • Duty: Memoirs of a Secretary at War, Knopf, 2014. ISBN 978-0307959478

脚注

  1. ^ Blake Hounshell. "Does Bob Gates count as a Republican?" Foreign Policy, November 9, 2008. (英語・英語版Wikipediaの記事より引用)
  2. ^ ゲーツと共和党との関係について記述のあるMSNBCの記事(記述部分はAP通信の記事)(英語版Wikipediaでも使用されている脚注より引用,2008年12月2日(アメリカ東部時間)編集)英語版では2009年5月参照・日本語版では2010年11月28日参照
  3. ^ 国防長官就任時のゲーツの経歴を紹介するニューヨーク・タイムズ紙の記事(英語)2006年11月19日(現地時間)編集・2011年5月7日(日本時間)閲覧
  4. ^ a b アラバマ州マクスウェル空軍基地でのゲーツの講演を記録した国防総省の資料(英語)
  5. ^ CIAは大統領直属の組織であるが、その長であるアメリカ中央情報局長官のポストは、指名・就任にあたり上院の承認が必要である。これは2005年4月21日に、従来は「中央情報長官」としてアメリカのインテリジェンス・コミュニティーの長も兼ねていたアメリカ中央情報局長官が、国家情報長官ポストの新設などによりその権限を縮小し、CIA専属の長官とされた後も同様である。
  6. ^ “Robert M. Gates '65, Chancellor”” (英語). ウィリアム・アンド・メアリー大学. 2012年9月17日閲覧。
  7. ^ 秋の叙勲、4103人…俳優の大村崑さんら 読売新聞 2017年11月3日
  8. ^ 旭日大綬章に坂本剛二氏ら=俳優の大村崑さん小綬章-秋の叙勲”. 時事ドットコム (2017年11月3日). 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月25日閲覧。

関連項目

外部リンク

公職
先代
ウィリアム・H・ウェブスター
アメリカ合衆国中央情報長官
Served under: ジョージ・H・W・ブッシュ

1991-1993
次代
R・ジェームズ・ウルジー
先代
ドナルド・ラムズフェルド
アメリカ合衆国国防長官
Served under: ジョージ・W・ブッシュバラク・オバマ

2006-2011
次代
レオン・パネッタ
学職
先代
サンドラ・デイ・オコナー
ウィリアム・アンド・メアリー大学総長
2012 -
次代
(現職)

ロバート・ゲイツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 06:05 UTC 版)

サトラレ」の記事における「ロバート・ゲイツ」の解説

アメリカ人サトラレ結婚していたが、自分サトラレであることに耐えられず、シェルター引きこもるクリス達が接触したときにはすでに死亡していた。死の瞬間まで孤独貫いたが、最後に告知前の友人達思い出抱いていた。もはや思念出ない以上その行動如何なる意味を持っていたかは不明

※この「ロバート・ゲイツ」の解説は、「サトラレ」の解説の一部です。
「ロバート・ゲイツ」を含む「サトラレ」の記事については、「サトラレ」の概要を参照ください。

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