レーゼドラマの上演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 19:10 UTC 版)
レーゼドラマとして書かれながら上演された例として、星新一の『にぎやかな部屋』(新潮社・刊)が挙げられる。文庫版の後書きに、小説家を含む人気作家たちに書き下ろしの戯曲を書かせるという出版社の企画(書き下ろし新潮劇場)を受けて自らの戯曲への適性に半信半疑のまま筆を執った星が、上演許可の依頼に対して「あれは読み物として書いたのだから、止めたほうがよい」と思いつつも承諾し、初演は酷かったらしいが再演はまずまずの出来と評価した、という旨が記されている。 その他の主な例として、イプセンの『ペール・ギュント』(1867年、初演1876年)、バイロンの『マンフレッド』(初演1824年)、太宰の『新ハムレット』などが挙げられる。 オスカー・ワイルドの『サロメ』(1891年刊)も、レーゼドラマとみなされる場合もある。西村孝次による訳書(新潮文庫)の解説でも、「劇の額縁にはめこまれた散文詩」と呼ばれている。戯曲としてはパリで1896年に初演された。しかし後に「内容が冒涜的だ」とされたイギリスでは1931年まで上演禁止令が出されたこともあり、演劇的成功にはなかなか結びつかなかった。その後、1905年にドイツ語訳をもとにしたリヒャルト・シュトラウス作曲のオペラがドレスデンで上演され、こちらは成功した(サロメ (オペラ) 参照)。
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