レコルトD(1972-1977年)
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「オペル・レコルト」の記事における「レコルトD(1972-1977年)」の解説
レコルトDは約110万台生産されたが「D」がディーゼルエンジン車と誤解されやすいためセールスツールではしばしば「レコルトII」と表記された。ガソリンエンジンは1897cc、1698cc、2068ccの3種類で、2068ccディーゼルエンジンも初めて追加された。 ボディタイプは2・4ドアセダン、3・5ドアワゴン、2ドアクーペ(ピラー付に戻った)があり、豪華バージョンとして「ベルリーナ」が登場した。ベルギー製「レインジャー」(6気筒版もあった)も同時にモデルチェンジされ、1976年まで主にベネルクス3国で売られた。南アフリカでもシボレー2500・3800・4100として生産された。韓国では大宇自動車(現・韓国GM)の前身であるGMコリアによって「レコード1900」としてノックダウン生産された(出典)。1975年になると、親会社GMの方針によりオペルは対米輸出を中止した(その後はいすゞ・ジェミニが「Opel by Isuzu」として輸出された)ほか、日本の自動車排出ガス規制に適応できなくなったことからレコルトを含むオペル各車の日本への輸出も1976年をもって中止された。 最盛期の1950-1960年代前半にはフォルクスワーゲンに次ぐ人気を誇ったレコルトの輸入中止により、空白となった日本市場はアウディとBMWに取って代わられ、1980年代半ばの輸入再開後もオペルのミッドサイズは失地回復出来なかった。
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