レイ=オズボーン艦隊
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「ホレイショ・ネルソン・レイ」の記事における「レイ=オズボーン艦隊」の解説
太平天国の乱の間、清国政府は、1853年に反乱軍に占領された南京の支配権を取り戻すことを望んでいたが、そのために必要となる、長江を下って軍隊を輸送するための船と、その護衛のための砲撃を行う船が不足していた。清国政府はイギリスに援助を求め、イギリスは清で安全に商業を行うために清を援助することに同意した。 南京から承徳に逃げた咸豊帝は、1861年7月にイギリス大使のフレデリック・ブルースが提示した、イギリスから砲艦を購入するという提案に同意した。海関総税務司の通訳ロバート・ハートは、この提案を作成した功績を称えられた。総理各国事務衙門を率いていた奕訢は、レイを新しい艦隊の監察官に任命した。レイは、奕訢の書面による指示で1862年3月14日にイギリスに向けて出発した。 女王ヴィクトリアは1862年9月2日にこの提案に同意し、船の装備と乗組員の雇用を許可した。レイはシェラード・オズボーン(英語版)大尉を艦隊の指揮官に任命した。 艦隊が国際的に認められた軍艦旗を掲げていれば、捕虜になったり投獄されたりする危険を減らすことができるが、イギリスの海軍本部は、清の軍艦旗を国際的に認めてもらうには、清国の明確な同意がなければならないと判断した。同治帝は、紅玉を咥えようとする青龍が描かれた黄色い三角形の旗(黄龍旗)を清の旗(英語版)とすると法で定めていたが、奕訢がレイへの指示書でこのことを言及していなかったため、レイは自分でデザインした旗を軍艦旗として掲げた。 1863年2月13日、レイ=オズボーン艦隊(吸血鬼艦隊とも呼ばれる)は、7隻の蒸気巡洋艦と補給艦を率いてイギリスを出港し、1863年9月に清に到着した。清からの命令は皇帝から直接レイを経由して受ける契約だったが、清の将校はオズボーンに直接命令しようとし、オズボーンはこれを拒否した。清国政府がオズボーンの特権を認めなかったため、オズボーンは激怒して同年11月に艦隊を解散させ、船をイギリスに送り返した。レイは同年、清国政府によって解雇され、ロバート・ハートが後任の総税務司となった。
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