リーブスデン飛行場
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「ワーナー・ブラザース・スタジオ・リーブスデン」の記事における「リーブスデン飛行場」の解説
リーブスデン飛行場(Leavesden Aerodrome)は1940年に建設された飛行場で、航空機メーカーのデ・ハビランド・エアクラフトと空軍省が協力して運営していた。 1940年にはすでに第二次世界大戦が始まっており、近隣のハットフィールド(英語版)に拠点を置くデ・ハビランド社は爆撃機モスキートの製造契約を空軍省と結んだ。しかし当時デ・ハビランド社が有していたハットフィールド飛行場(英語版)では格納庫の広さが足りなかったため、軍需省は当時まだ開発がなされていなかったリーブズデンに飛行場を建設するよう要求し、実際に建設がなされた。建設費用は莫大なものとなったため、政府はロンドン航空機製造グループに飛行場をリースして費用を賄った。また当時同じくハートフォードシャーに拠点を置いていた別の航空機メーカーハンドレページも空軍省と契約し、この飛行場でハリファックスという別の重爆撃機を生産している。結果としてリーブスデン飛行場では戦争中にモスキート1,476機、ハリファックス710機が生産され、戦争終結当時世界最大の航空機工場となった。 戦争が終わるとデ・ハビランド社が飛行場を買い取り、その後1959年には買収先のホーカー・シドレーに所有権が移った。その後1977年にロールス・ロイスが買収し、ヘリコプター用エンジンの設計・製造に利用した。ロールス・ロイス時代にはイギリス軍が運用するアパッチ攻撃ヘリ用エンジンやNH90用エンジンの設計、開発、生産を全てこの工場で行っていた。また高速道路によるアクセスが容易なことからゼネラル・アビエーションにも利用されてきた。しかし1990年代に入るとイギリス製造業の衰退が顕著となり、ロールス・ロイスはリーブスデンから撤退、機能の一部はブリストルへと移された。その後新しい所有者が見つからなかったため、1994年までに飛行場は廃止、放棄された。
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