ラーマクリシュナの下での修行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:50 UTC 版)
「ヴィヴェーカーナンダ」の記事における「ラーマクリシュナの下での修行」の解説
1882年、17歳で初めてラーマクリシュナに会い、それまで誰からも満足な返答を得られなかった問い「あなたは神を見たことがありますか」を投げかけた。ラーマクリシュナ「うん、私は神様を見たよ。ここでおまえを見ているように、私には神様が見えるんだよ。それもじつにはっきりとね」と答えた。ノレンドロはこの答えに大きな驚きと心の安らぎを感じ、この体験が彼の宗教体験の契機となり、ラーマクリシュナの死まで4年間彼の下で学んだ。増原良彦は、ヴィヴェーカーナンダはラーマクリシュナの「人格に帰依した」と形容している。ラーマクリシュナの方も、ヴィヴェーカーナンダを信頼し、後を任せるにふさわしい人物とみなした。 ラーマクリシュナは、タントラやシヴァ派、アドヴァイタ、イスラム神秘主義など様々な行法を行って修行したが、これらを弟子たちに実践させることはなく、講話も説教もしなかった。 ノレンドロは納得できないことにはすぐに反論し、ラーマクリシュナの見たカーリーは幻覚に過ぎないのではないかとさえ言った。ある時ノレンはラーマクリシュナが「神は万物に宿る」と言うのを聞いて、壺やコップを叩きまわり、「これも神か、あれも神か」とふざけていた。するとラーマクリシュナはノレンに触れて、神を見せた。世界は神そのものであり、壺もコップも神であるということをノレンドロは悟ったという。ノレンにとっては偶像崇拝も迷信であるように思え、よく論争をした。やがて、ノレンドロは熱烈な支持・賛同をもってラーマクリシュナを受け入れた。[要出典] 1884年の初め頃、心臓発作により父が死去。彼の一家は経済的困窮に見舞われた。 ラーマクリシュナは喉頭癌で、1886年8月15日に死去した。ノレンドロは23歳だった。その後、ノレンドロを含むラーマクリシュナの教えの中心となる弟子達は、僧になって一切を放棄するという誓いを立て、バラーナガルのあばら家に住み、ラーマクリシュナの弟子で富豪でもある家主によって、食事その他の生活の施しを受けた。[要出典]
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