ラーチャブリー教区とは? わかりやすく解説

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ラーチャブリー教区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/20 02:31 UTC 版)

ラーチャブリー教区

ラーチャブリー教区สังฆมณฑลราชบุรี、The Diocese of Ratchaburi)(ローマ・カトリック教会)はタイ中西部にある司教区バンコク大司教区の属司教区。サムットソンクラーム県バーンコンティー郡タムボン・バーンノッククウェーク、ムー7に司教座を構える。この司教区は31,362km2の面積を持ち、ラーチャブリー県ペッチャブリー県カーンチャナブリー県サムットソンクラーム県を管轄する。2001年の時点で教区内の220万人の住民の内、15,246人がカトリック信者である[1]。17の小教区を持つ。

歴史

この教区は1930年に、タイ南部および西部の布教に責任を負うラーチャブリー独立教会(the Mission sui iuris of Rajaburi)が設立されたのに始まる。この独立教会は、1927年に同地で活動を開始したサレジオ会によって運営され、パリ外国宣教会が行っていた布教活動を引き継いだ。1934年ラーチャブリー知牧区に昇格。1941年にさらにラーチャブリー代牧区に昇格。1965年バーンノッククウェーク教区に昇格し、1966年に名称をラーチャブリー教区に変更。1969年サレジオ会が運営するスラートターニー教区が分離し、民族系教会がラーチャブリー教区に残った。

司教座聖堂は、タムボン・バーンノッククウェークに、教区監督府はムアンラーチャブリー郡に立地。

司教座聖堂

Nativity of Our Lady Cathedral

司教座聖堂サムットソンクラーム県バーンコンティー郡タムボン・バーンノッククウェークの聖母生誕大聖堂(The Nativity of Our Lady Cathedral、อาสนวิหารแม่พระบังเกิด)。聖堂はフランスゴシック様式で建設され、フランスから輸入されたステンドグラスが嵌め込まれている。上段の列にイエス・キリストの生涯が描かれ、下段の列に聖人が描かれている(男性聖人が北面、女性聖人が南面)。

1840年9世帯の中国人キリスト教徒の家族がメークローン川河畔に移住。1847年には200人のカトリックコミュニティに成長し、現在の聖堂敷地に、サーラーデーン(赤い堂)、又はルアンヤオ(長い水路)と名づけられた木造の教会を建築した。さらに1850年にマリン神父がダムヌーンサドゥワック水路入り口の土地を購入し、教会に寄進した。1890年にフランス人伝道師パウロ・サルモン神父が聖母生誕大聖堂の建設を開始し、1896年2月2日落成。第二次世界大戦中、窓ガラスが割れる被害があったが、1993年に修復が完了。1994年から1999年までプラディット神父により大規模な改修工事が行われた。

教区長司教

1965年以前の知牧区、代牧区の監督者の地位は、司教代理もしくは知牧であったが、名義司教の地位を持っていた。

脚注

外部リンク




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