ラヴァリン・スカイトレイン
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「バンコク・スカイトレイン」の記事における「ラヴァリン・スカイトレイン」の解説
1972年にタイ政府が設立したETA(高速道路・大量輸送手段公団)管轄による整備が1979年に決定したが財政事情により直ちに着手することはできず、路線変更など紆余曲折の末に1990年、カナダの建設会社であるラヴァリン(英語)社の提案が採用された。これはバンクーバー・スカイトレインで導入された同国のUTDC社開発のICTS方式を導入し建設する予定だったためラヴァリン・スカイトレイン(英語版)、スカイトレイン計画とも呼ばれた。 ラヴァリン社に対し1992年2月に免許が交付されたが、同年5月に発生した政変の余波を受け同年6月に失効、計画自体も白紙となった。 本計画では3路線が予定されていたが、予算制限により最終的にプラカノーン線、サートーン線の2路線に絞られた。ただし、高架鉄道として完成した現在のスクムウィット線、シーロム線とは経路が異なる点に留意が必要である。 プラカノーン線 - 現スクムウィット線モーチット駅付近を起点とするが経路は大きく異なる。MRTバーンポー駅(タイ語版)付近まではブルーライン沿いに西方に向かい、過去に存在したバンコクの路面電車(英語版)と似た経路で南下、フワランポーン駅付近でラーマ4世通り沿いに東方へ転じる。終点は現スクムウィット線オンヌット駅付近。 サートーン線 - 現MRTラートプラーオ駅付近を起点とし、ブルーラインと似た経路で南下するが、ペッチャブリー駅付近で大きく進路を変える。終点は現タラートプルー駅(国鉄マハーチャイ線)付近。チョーンノンシー駅付近より西方では現シーロム線との重複区間がある。
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