ラヴァルの外相就任とローマ訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 01:37 UTC 版)
「ローマ協定」の記事における「ラヴァルの外相就任とローマ訪問」の解説
暗殺されたバルトゥーの後任としてピエール・ラヴァルが外相に就任すると両国間の関係改善はさらに進められ、当時イタリア外務次官として事実上の外務大臣として動いていたフルヴィオ・スーヴィッチ(it:Fulvio Suvich)とイタリア外務官房長アロイジの協力の下1935年1月ラヴァルはローマを訪問、協議の末ローマ協定の締結が宣言された。この時ムッソリーニはラヴァルにエチオピアにおけるフリーハンドを要求し、ラヴァルはこれを口頭で承認した。
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