ラシオ空挺作戦
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1942年3月9日、ジャワ作戦は終了し挺進団はビルマに前進を命じられた。参加部隊は挺進第1連隊、挺進第2連隊の第3中隊および集成隊から成り、第1連隊長武田少佐が指揮を執るとされた。同年3月19日にプノンペンを列車に乗って出発、4月8日にラングーンに到着。敗走する敵軍を包囲するためラシオに部隊を降下させ、追撃していた第56師団と挟撃し包囲撃滅しようとした。 しかし、降下の時期と航空機の輸送能力の問題で過小戦力を投入することに上級司令部は躊躇していた。飛行隊の集結はやや遅れており、4月23日に第5飛行師団司令部に挺進団幹部が集まり空挺作戦の具体的検討を始めた。挺進飛行隊は5月5日頃にトングー飛行場から出撃しラシオを急襲する計画であった。第56師団の進撃速度は速く、準備不足のまま27日か28日に決行する予定であったが第5飛行師団長小畑英良は29日の決行を命じた。 この作戦はパレンバンと違い奪取すべき目標が無く、退路を遮断できる緊要地形が付近には無かった。このため、敵に混乱状態を生起させるため敵部隊が所在していそうな場所に降下させる計画であった。決行日の29日朝に部隊は出撃するも、悪天候のため引き返した。この際に1機が山中に墜落、1機は片方のエンジンが故障のまま飛行したが着陸寸前に墜落した。第56師団は同日正午にラシオに突入しこれを占領した。
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