ラサ暴動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 10:16 UTC 版)
1988年2月末、ラサで大祈祷法会モンラム・チェンモが11日間にわたって開催された。チベット伝統の宗教行事は1960年代から禁止されてきたが、1987年から解禁された。中国当局は6千人の武装警官隊を配備した。 最終日の3月5日、一人の僧侶がマイクを掴み「チベットに自由を!チベットに独立を!中国の抑圧を倒せ!ダライラマ万歳!」とマイクで叫ぶと、観衆のチベット人も叫びはじめ、チベット民族の歌を歌い始めた。武装警察は催涙ガスを撒き、多数の僧侶が連行された。 これを受けて、ラサ市内で暴動が起き、中国人が経営する商店が放火され、中国仏教協会チベット事務所と警察署も襲撃された。翌3月6日にはラサ全市民の捜索が行われ、2500人のチベット人が逮捕され、拷問をされた。4月17日にも尼僧15人前後がジョカン寺前でデモ行進を行い逮捕された。 1988年12月10日、ジョカン寺で僧侶たちがデモ行進がおこなうと、武装警察が再び無差別発砲を行って虐殺し、少なくとも15人が虐殺され、150人以上が重症したとオランダ人旅行者や西側ジャーナリストよって目撃されている。 1988年12月19日にはチベット人学生70人が北京の天安門広場でデモ行進を行った。12月30日にもラサ市内で500人のデモ行進が発生した。
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