ラサ建設と2王妃将来の本尊についての伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 16:43 UTC 版)
「ラサ」の記事における「ラサ建設と2王妃将来の本尊についての伝説」の解説
7世紀初頭までは「ラサ(lha sa)」(神(lha)の地)のほか、「ラサ(ra sa)」(ヤギ(ra)の地)とも書かれた。。 後代に成立したラサの建設に関する伝説では、ラサの建設は吐番王朝のソンツェンガムポ王による。 ソンツェン王は中国からギャサ(文成公主)、ネパールからペルサ(ブリクティ)という二人の妃を迎えた。二人の妃はそれぞれ、自国から携えてきた仏像を祀る寺院を建立させた。ギャサがもたらした仏像を祀る寺として建立されたのがラモチェ寺、ペルサがもたらした仏像をまつるのがトゥルナン寺である。 7世紀初頭までは「ラサ(ra sa)」(ヤギ(ra)の地)とも書かれ、従って後代に成立したラサの建都伝説では、トゥルナン寺は小さな湖上を土や丸太で埋め立てて建立された。土や丸太の運搬には多数のヤギ(ra)が用いられ、トゥルナン寺の落慶ののち、ヤギの栄誉をたたえ、一頭のヤギ像が寺の傍らに建造され、「ヤギの地」という呼称が生じた。という物語が付加されている。 のちにトゥルナン寺とラモチェ寺の間で本尊の入れ替えが生じたとされ、現在ではギャサがもたらしたとされる仏像(チョウォ・リンポチェ)がトゥルナン寺に、ペルサがもたらしたとされる仏像がラモチェ寺にある。
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