ヨーロッパの発見の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:54 UTC 版)
「スワンナプーム」の記事における「ヨーロッパの発見の時代」の解説
金への渇望は、近代の初めの探検家に最も強力な刺激を与えた。彼らによって広大な地域が明らかにされていったにもかかわらず、東インド諸島で金銀島を探す試みは無駄に終わった。伝説によれば、金銀島では貴金属は地表から集められ、労力を使って地中から掘り出す必要はなかった。彼らの失敗にもかかわらず、その魅力的な像をあきらめることは困難であった。古い伝説やそれに基づいた地図で示されている地域で求めているものが見つからなかったとき、彼らはまだ未踏の地域でのより良い成功を望み、目的を達成するためのあらゆる手掛かりを得ようとした。 かくして地理の歴史は、金島と銀島が、いわば東に向かって動いていったことを示している。 マルコ・ポーロは、最も誇張された言葉で、世界のこの部分の端に位置するジパングの金の富について話し、それによって貴金属をどこで探したらよいかを指摘した。マルティン・ベハイムは、1492年の地球儀で、これらの地域で古代の金銀島を復活させた。 1519年に、 クリストヴァン・デ・メンドンサ(英語版)は、「スマトラの向こう」にあるとされる伝説の金島を探すように指示されたが発見できなかった。1587年、金島を発見するためにペドロ・デ・ウナムノ (Pedro de Unamuno) の率いる遠征隊がジパング(日本)の近くに派遣された。アントニオ・デ・エレラ・イ・トルデシリャスによると、1528年、アルバロ・デ・サアベドラ・セロン(英語版)がフロリダ号に乗船してモルッカからメキシコへの航海中に大きな島に着き、彼はその島を「イスラ・デル・オロ」(金島)だと考えた。この島は同定されていないが、ニューギニア島北海岸にあるビアク島、マヌス島またはスハウテン諸島の1つであるようだ。
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