ヤンキース復帰・引退まで(1996年 - 1999年)
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1996年7月4日にヤンキースに復帰。メッツ時代のチームメイトで、やはりドラッグにより前年1シーズンの出場停止処分を受けたグッデンと再びチームメイトになる。63試合に出場して11本塁打・36打点と復活の兆しを見せ、チームの地区優勝に貢献。ボルチモア・オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第4戦で2本塁打を放つなど打率.417・3本塁打の大活躍でオリオールズを4勝1敗で破り、リーグ優勝の立役者となった。ブレーブスとのワールドシリーズでは振るわなかったが、チームは4勝2敗で15年ぶりの世界一の栄冠を手にした。 1997年は故障のため11試合の出場に留まる。 1998年は24本塁打・57打点を記録。7年ぶりに20本塁打以上をマークして、114勝を挙げて独走で地区優勝を果たしたチームに貢献したが、10月1日に大腸ガンの診断を受け、手術。チームはサンディエゴ・パドレスを4連勝で下してワールドシリーズ優勝を果たすが、出場はならなかった。 1999年は4月3日にフロリダで逮捕され(後述)、出場停止処分を受ける。終盤の9月に復帰を果たし、打率.327・3本塁打を記録。ポストシーズンでも打率.333と存在感を見せ、チームはワールドシリーズでブレーブスを4連勝で下して連覇を達成。翌年1月に再びコカインの陽性反応を示したため1年間の出場停止処分を受け、そのまま引退となった。
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